日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面し、同じモンゴル民族でつくるモンゴル国が独立国家であるのに対し、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれ、近年目覚しい経済発展を遂げています。しかし、その一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土が失われてきているといいます。

 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのか。

 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。


【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第4回

牛たちも何とか鉄条網から出たいと試みている=シリンゴル盟・シローンフブートチャガン・ホショー(2015年4月撮影)

 1980年代から、内モンゴルでは土地改革が行われ、それまで共同で使用してきた牧草地が、各家庭に分配され、それぞれが自由に使うようになった。

 そのときは多くの遊牧民が、この鉄条網で自分たちの牧草地が保護されて、環境にも負担がないという政府の宣伝を信じていた。

 だが、この分配は平等ではなかった。お金がある人や権力がある人は、広い土地を鉄条網で囲み始めた。早い者勝ちだった。鉄条網設置が進むに従い、隣接する牧草地の境目をめぐるトラブルが後を絶たず、口論や喧嘩だけでなく、殺人事件まで起きてしまった。

 そして、わずか4、5年の間で、日本とほぼ同じ面積を持つシリンゴル草原では、鉄線に囲まれてない草原が残らないぐらいに、鉄条網が普及した。

 
 牧草地の分断だけではなく、この地方では大きな問題が起きていた。墓地の問題である。

 土葬の場合は、農耕民族の墓のようにマウンドを作ることがないため、2、3年後には墓があったことすら分からないくらい、掘られた場所はもとの大地に戻っている。しかし、一族の墓の位置は決まっていて、その場所はノトグと呼ばれ、代々伝えられてきた。ノトグはふるさとを意味する。

 ところが牧草地の分配は、ノトグのことを考慮せず、多くの場合、直線に鉄条網を引いている。そのため、自分たちのノトグが、他人の鉄条網に囲まれることは珍しくなかった。この連載を執筆中に父が亡くなり、一時帰国した。その際、父の墓をどこにつくるかが、兄弟で大きな難問になった。本来なら、父の先祖たちが眠るノトグに持って行きたかったが、そこはすでに山西省から流れてきた漢族の私有地になってしまっていた。

 父たちが、代々大切にしてきたノトグはすでになくなったのだ。しかたなく、別のところで新しいノトグを選び、葬儀を行った。私が味わった悲しい思いだ。

 鉄条網の出現によって、何百年、何千年と続いてきた遊牧生活、つまり遊牧文化がなくなり、定住生活に変わってきた。そして遊牧生活に伴い、生活、習慣、言語、芸術など多くのものが忘れられ、消えゆく危機に直面している。(つづく)

※この記事はTHE PAGEの写真家・アラタンホヤガさんの「【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮るーアラタンホヤガ第4回」の一部を抜粋しました。

内モンゴル自治区の地図


アラタンホヤガ(ALATENGHUYIGA)
1977年 内モンゴル生まれ
2001年 来日
2013年 日本写真芸術専門学校卒業
国内では『草原に生きるー内モンゴル・遊牧民の今日』、『遊牧民の肖像』と題した個展や写真雑誌で活動。中国少数民族写真家受賞作品展など中国でも作品を発表している。
主な受賞:2013年度三木淳賞奨励賞、同フォトプレミオ入賞、2015年第1回中国少数民族写真家賞入賞、2017年第2回中国少数民族写真家賞入賞など。

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