独立戦争、南北戦争、産業革命と激動期だった約200年前のアメリカで誕生した超絶主義思想。自然の中に真実を求め、生きることの本質的な価値を見つめるその思想は、同じように社会変革の激しい波に巻き込まれた明治期の日本人に多大な影響を登場しました。

 アメリカ文化に詳しい小説家の井上一馬さんが執筆する連載「生き方模索の現代人へーボストン哲学が語りかけるもの」、第4回は「超絶主義思想と日本人」をテーマに、北村透谷と武者小路実篤を取り上げます。

日本人の心揺さぶる 自然崇拝の思想に通じる超絶主義

超絶主義思想を生んだボストン近郊コンコードの自然風景。この思想は自然を崇拝する日本人にも影響を与えた(写真:アフロ)

 19世紀にラルフ・ウォード・エマーソンらによって唱えられた超絶主義思想は、一世紀以上の時を経た今もなお決して過去の思想ではない。私自身、今でもしばしば、自然を師として自己の内なる声に耳を傾け、個人の生を超えた普遍なる生、宇宙の神を感得しようとしている。

 が、「アメリカの頭脳」とも言うべきボストン周辺で生まれたこの超絶主義思想は、言うまでもなく、もっと早い段階から ── 明治時代から、日本人に大きな影響を及ぼしてきた。

 「この地球上のすべてのものは荘厳で普遍的な本質(自然)に通じている」とするエマーソンの超絶主義思想は、汎神論であり、その意味でこの思想は、日本人が縄文時代から持っていた自然崇拝の思想、万の神の思想に通じるものを持っていたと言えるのである。

 そんなエマーソンの思想に、いち早く心を揺さぶられた日本人のひとりが、北村透谷である。

 透谷は、明治元年(1868年)に生まれた後、まだ十代の頃から自由民権運動に身を投じるが、その後しだいに思想的な矛盾と行き詰まりを感じるようになり、まだ26歳の若さで自殺してしまった。

 その透谷が、死の直前にエマーソン論を著している。そしてその中で彼は、日ごとに重い厭世観に苛まれていく自分とは対照的に、人生を肯定的に、楽観的に見るエマーソンの思想に一縷の希望を見出そうとしたのだが、結局、エマーソンの思想も透谷を死の淵から救い出すことはできなかった。

 だが、透谷の書いたエマーソン論はその後、子爵の家に生まれながら、エマーソンと同じように幼くして父を失った、白樺派の作家・武者小路実篤(明治18年、1885年生まれ)に大きな影響を与え、後に彼の「新しき村」運動へとつながっていくのである。

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