写真はイメージ提供:アフロ

 「孤独死」と聞くと、どんな反応をしますか?

 たいていは拒否、拒絶、「いやだ」、「絶対したくない」……といった反応でしょう。だけど、冷静に考えてみれば、一人暮らしであれば誰でも孤独死する可能性はあるのです。いうなれば、孤独死はありふれたリスクです。ありふれたリスクに対しては「いやだ」、「絶対したくない」と逃げ回るより、リスクの実態を冷静に認識して、合理的な対応を考えておく方が賢いとは思いませんか? それに孤独死はリスクだけではありません。少しばかりはプラス面もあるのです。「孤独死のプラス面? まさか!」と思われますか? まあ、最後まで読んでください。

【連載】不幸ではない「孤独死」から、老いと人生を考える

孤独死のマイナス面

 ともあれ、プラス面は最後の楽しみに取っておいて、まずマイナス面を検討しましょう。ほんとうのところ、孤独死の何が困るのでしょうか?

 「死ぬことそのものがいやだ」という話は持ち出さないでください。それは「孤独死」というテーマをはみ出す大きすぎる問題です。

 「一人で死ぬのはさみしい」……かもしれませんが、考えてみれば病院のベッドで,意識のない状態で点滴やチューブを付けられた中、心電図の波形によって認知される死も、さみしいと言えばさみしいです。あるいは、まだ自分が死ぬ前から相続争いを起こし始めている親族に囲まれて死ぬのは、さみしさを通り越してつらい、くらいでしょう。

 では孤独死の究極の問題は何なのでしょうか?

 わたしがいろんな人の意見やメディアで報じられる情報に基づいて判断するには、孤独死の究極の問題は、

 「自分の死後、すぐに発見されず何日も、何週間も、場合によっては何カ月も遺骸が放置されること」です。そう思いませんか?

 遺骸が何日も何週間も放置され、腐敗し、液状になって畳や床にしみこんでいく。当然、強烈な臭いが発生します。ハエが卵を産み付け、孵化してウジ虫になり、それが成虫となって大量のハエが発生する。死んでしまえば何も分からず何も感じないとはいえ、そんな中に自分の遺骸が放置されるのを想像するのはゾッとするでしょう。さらに言えば、死んでいく本人だけでなく、近隣住民に係わる公衆衛生上の問題でもあります。賃貸住宅であれば、家主にも大きな迷惑と負担をかけます。

  これこそが、孤独死の究極の問題なのです。

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