有吉佐和子と杉道助(右)『杉道助追悼録 杉道助の生涯 限りない人間愛』 編集発行 杉道助追悼録刊行委員会 より

 大阪で繊維業を営んでいた杉道助は、恐慌などに見舞われ、商売の浮沈だけでなく、数回にわたる投獄生活を余儀なくされるなど、波乱万丈の人生を歩みます。

 大阪商工会議所会頭として獅子奮迅し、繊維取引を通して大阪、近畿圏の経済発展に大きく貢献した杉の経済人としての後半の人生について、市場経済経済研究所の鍋島高明さんが解説します。


  世界恐慌と格闘しながらも、八木商店の業績は回復するも

 1927(昭和2)年、大正から昭和へと改元されたことに伴う大赦令で杉は公民権が復活するが、八木商店の減資に踏み切る。同4年にはニューヨーク株大暴落に端を発した世界恐慌と格闘しながらも業績は着実に回復に向かう。そしてやっと復配にこぎつけ、胸をなでおろすが、1931(昭和6)年満州事変が勃発し、大阪三品取引所の綿糸相場が暴落、またまた無配転落を余儀なくされる。同年の激動ぶりは『三品小誌』(大阪三品取引所編)にくわしい。

 「6月、米大統領の戦債モラトリアム(支払い猶予)声明はフーバー景気として一時光明を与え、140円に回復したるも……9月19日柳条溝事件勃発、21日英国の金本位中止の飛報により一挙100円を割る。10月、当限85円20銭と大正3年以来の安値に惨落す。12月13日政友会内閣の成立とともに即日金輸出再禁止され、為替相場暴落し、内外物価高騰に向かい、市況もまた連日好調裏に終了せり」

 その後も八木商店の業績は浮沈を繰り返す。1935(昭和10)年12月、創業社長八木与三郎が死去、杉は3年間社長代理を務めたあと、同13年12月、第2代社長に就任する。

 これより先、同13年8月、杉は統制法違反の容疑で拘引、留置される。2度目の不名誉である。当時、綿糸は切符引き換えでなければ販売できなかった。無票取引、つまりヤミ売買をやったトガである。この時は大阪船場の5大綿糸問屋(東洋綿花、岩田商事、八木商店、竹村綿糸、丸栄商店)が軒並み摘発された。

【連載】投資家の美学