[画像]1912年ストックホルム大会に臨む日本初の選手団

 東京五輪・パラリンピックまで残すところ1000日を切った。さまざまなメディアがオリンピックに関する歴史や展望を書き連ねている。しかし日本でオリンピックが開かれるようになるまでにどのような試行錯誤が行われたのか、ほとんど知られていない。特筆すべきは、1940年の「幻の東京五輪」に先立って予行演習的なスポーツ大会が実施されていたことだ。歴史の闇に消えた「東京オリンピック前史」を3回連載で掘り起こしてみたい。

【図表】1940年に「幻の東京五輪」/日本の五輪招致の歴史

●きっかけは娯楽雑誌の“オフ会”

[画像]アジア人初のIOC委員に就任した嘉納治五郎

 近代オリンピックの到来を告げた第1回アテネ大会の開催は1896(明治29)年である。日本が最初の選手団を派遣したストックホルム大会が1912(明治45)年。これに先だって1909(明治42)年に「柔道の父」と呼ばれ教育者でもあった嘉納治五郎(かのう・じごろう)が、アジア人として初めて国際オリンピック委員会(IOC) 委員に就任している。一般に日本におけるオリンピックの歴史はこの1909年から始まるものと考えられている。

 ヨーロッパから10年ほど遅れてはいるものの、黎明期からオリンピックを受け入れてきたわけだ。明治元年からわずか41年、散髪脱刀令から38年しか経過していない。驚異的なスピードと言ってよいだろう。

 しかしオリンピックが東京で開催されるまでの過程は決して一本道ではなかった。オリンピックをめぐり、いくつかの勢力が同時多発的な動きをみせていたのだ。現在のオリンピックには直接結びつかず、歴史の闇に消えてしまった出来事もある。

 嘉納のIOC委員就任当時、日本人のオリンピック理解がどの位だったかと言えば、古代ギリシャ史の文献を通じて古代オリンピックの概要を知っている程度に過ぎなかった。近代オリンピックへの参戦など思いつきもしなかっただろう。海外で生のスポーツを観戦することさえ想像できなかったはずだ。というのも、海外渡航は文字通りエリートだけに許された特権で、莫大な資金が必要だったからだ。「留学すれば家一軒建つ」と言われた時代である。

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