ジョン・ハモンドはどこに消えた?

 さて、このモダン・ジャズの世界に、ジョン・ハモンドの姿はどこにもない。ハモンドこそ、ビ・バップに徹底して反発した人だった。マイルスなど優れた才能があることは分かっているが、大衆から離れ、難解な世界に入り込んだジャズを支持したくないというところだろうか。戦後ハモンドが関わったジャズといえば、クリスチャンと同じギタリストのジョージ・ベンソンしかいない。けれど、このジョン・ハモンドは、20世紀のアメリカ・ポピュラー音楽史を飾るとんでもない才能を発見し、世に送り出している。あるとき、ひょんなことでフォーク・フェスティバルに関わり、そこで出会ったボブ・ディランに、もっと曲を作れと言って、完成したのがデビュー作となった。ライナー・ノートはユダヤ人のジャズ評論家ナット・ヘントフ。また、さらにブルース・スプリングスティーン、まだ10代のアレサ・フランクリンのデビュー作もハモンドが関わっている。

 ハモンドは、とても頑固な男で、髪は10代の頃からあっさりとしたクルー・カットで生涯を過ごした。また、黒人差別などの人種差別反対を生涯主張し続けた。ただ、過激な主張には同意しなかった。どこまでも人間の常識的な感覚に従うこと、これもまた生涯に渡り、頑固に守り通したこの人にとっての自由の位置だったのだろう。

(文・青木和富)