1990~2000年代は大きな自然災害に見舞われた時代でもあった。都市化が進み、電気やガスのインフラが整った阪神を襲った大震災は、エネルギーの重要性を再認識させた。新潟県中越沖地震では柏崎刈羽原発が自動停止した。東京電力の発電量が低下し、夏の需要期の供給が不安視された。

 その原子力をめぐっては、高速増殖炉「もんじゅ」のトラブル続発と情報隠しや、JCOによる被ばく死傷事故なども起き、原子力への不信が広がった。

 今回は地震などの災害とエネルギー産業への影響を中心に見ていきたい。

阪神大震災の発生と教訓

最大震度7の阪神淡路大震災。関西電力では全社の契約の4分の1に当たる約260万軒が停電(写真:ロイター/アフロ)

 1995年1月17日午前5時46分、最大震度7の阪神淡路大震災が発生した。高速道路の橋桁が倒れている様子がテレビや新聞で報じられ、地震の大きさを物語っていた。冬の早朝だったこともあり、被害は甚大だった。

 エネルギーインフラも一時遮断された。関西電力では全社の契約の4分の1に当たる約260万軒が停電し、火力発電所は35基中12基が自動停止した。大阪ガスもガス漏洩の通報が急増し、神戸市東灘区、灘区、中央区の全域や芦屋市の一部など約86万戸のガス供給を二次災害防止のために順次止めた。

 地震を受け、関電は副社長を本部長とする非常災害対策本部を設け、復旧作業に奔走した。被災した電線などを仮設で復旧させる「応急送電」により、停電は7日間で解消した。平時も24時間体制で電力設備の監視と制御をしているため、情報収集や修復工事の初動は迅速だった。また、家屋の被害が予想されるエリアでは安全上、送電を適宜保留するなどした。

 大ガスも地震発生の6分後には本社の中央指令室に地震対策本部を設置し、ガス漏れなどへの対応に当たった。

 復旧作業に際し、関電も大ガスも全国の同業他社に協力を呼び掛けた。関電には他の大手全9社から協力の申し出があり、うち北は東北電力、南は九州電力の7社が応援員を出したり、電線や作業車を届けたりした。ピーク時は5000人近い体制で作業に臨んだ。大ガスは、日本ガス協会を通じて全国のガス会社に応援を要請した。東京ガスや東邦ガスなどが応じ、被害状況の調査や復旧に当たった。復旧活動をした人員は最大で1万人に上った。

 地中に埋まっているガス管は、漏洩などの異常を見つけるのが困難だった。一方、地上にある電柱、電線は復旧が比較的容易だった。ただ、電柱は倒壊の危険などから、震災後は電線地中化を推進する議論にも繋がっていった。

 政府、通商産業省(今の経済産業省)としても、阪神大震災の教訓を踏まえ、東電や東ガスなど生活インフラ、ライフラインを担う事業者から、停電やガス供給停止などの情報をオンラインで受信できるようにするなど、情報網の整備を重ねていった。

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