原油高で石油株は上昇した(2013年8月、ロイター/アフロ)

 1990年以降、1バレル20ドル前後で推移してきた原油価格は、2000年代半ばから上昇基調となり、2008年に急騰して100ドルの大台を突破、一気に147ドルの史上最高値まで駆け上がる。背景には中国をはじめとする新興国の旺盛な需要があった。将来の安定供給が不安視され、国際商品取引に投機的なマネーが流入し、上昇を加速させた面もある。

 携帯電話の部品として使われる希少金属(レアメタル)も高騰した。中国が世界各地の資源を買い集め、諸外国は警戒。獲得競争が激化し、各国が資源外交を繰り広げた。

 日本は石油製品の価格上昇を受け、メーカーや運輸など幅広い産業に影響が及んだ。一方、日本が培ってきた技術や製品を官民一体で売り込むことで資源国から有利な条件を引き出したり、新興国の成長市場を取り込もうとしたりした。省エネ技術や鉄道などのインフラと並んで、売り込みを図った商材の一つが原子力だった。

 地球温暖化の問題も相まって欧米を中心に「原子力ルネッサンス」なる動きが取り沙汰されていた。日本は政権が自民党から民主党に変わっても原子力を推進する政策は一貫していた。東日本大震災が起きるまでは ── 。

資源獲得に向け、世界中を駆け回る中国

安徽省合肥市にあるSinopecの石油タンク(ロイター/アフロ)

 1978年の第2次石油危機後、原油価格は長らく概ね1バレル10~40ドルで推移していた。変調を来し始めたのは2004年頃。背景には中国をはじめとする新興国の成長に伴うエネルギー需要の増加があった。

 1991~2010年代前半、実質国内総生産(GDP)に基づく中国の経済成長率は対前年ベースで平均約10%と高水準で推移した。日本が同時期にほぼ横ばい、時にマイナス成長だったのとは対照的だった。

 中国の原動力は世界一を誇る10億人超の人口だ。1990~2010年代を通じて増え続け、現在約14億人を抱える。産業の近代化が進み、整然とした工業地帯もでき始めた。日米欧のメーカーも安い労働賃金をにらんで中国に生産拠点を設ける動きが、21世紀に入り加速した。中国は「世界の工場」と呼ばれるようになり、エネルギーの需給は逼迫(ひっぱく)した。

 中国は国内屈指の生産量を誇る大慶油田などを持ち、かつては石油輸出国だった。だが1990年代前半に輸入国に転じ、資源獲得に向け世界中を駆け回った。名だたる大油田は欧米の国際石油資本が押さえていた中、中国は欧米と政治的に距離を置く国家との繋がりを深めていった。ロシアやイラン、ベネズエラといった国々で、開発中あるいは未開発の大規模油田が眠っていた。

 CNPC(China National Petroleum Corporation;中国石油集団)とCNOOC(China National Offshore Oil Corporation;中国海洋石油総公司)、Sinopec(China Petrochemical Corporation;中国石油化工集団公司)などの中国国営石油が次々と海外の油田開発事業に乗り出した。

 アフリカも未開発油田が多く眠るとして、中国は積極的に展開した。その際に使った仕組みが「Loan For Resource Program」(ローン・フォー・リソース・プログラム)だ。資源獲得の見返りに融資を行う内容で、都市開発や道路建設などインフラ整備をパッケージでセールスし、引き換えに対象国の資源を手に入れていった。

 近年、急増する訪日中国人が日本製の化粧品やお菓子を大量購入する「爆買い」が、まさに世界中で行われた。

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