東日本大震災が起きた。大津波が東京電力福島第1原発を襲った。あれから6年半余り。原子力をはじめ、エネルギーを取り巻く環境は大きく変わってきた。

 これまで既に国内外で多くの検証、議論がなされているが、今後4回にわたり、

―震災発生当初の動き
―反原発と地元
―政策の変遷と海外動向
―産業界の受け止め

について概略的に振り返っていく。

【連載】エネルギー小国日本の選択

高さ15メートルの津波

東京電力が公開した爆発後の3号機の写真(TEPCO/アフロ)

 2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の日本最大規模の巨大地震が発生した。高さ10メートルを超える津波が押し寄せ、太平洋沿岸、特に岩手、宮城、福島3県に甚大な被害を与えた。東京を中心とした首都圏では交通機能が麻痺し、金曜の帰宅時間を直撃した。駅やバス停、街中に帰宅困難者が溢れ返っていた。

 新聞やテレビ、ラジオのメディアは連日、被災状況を報じた。日が経つにつれ、犠牲の深刻さが明らかになっていった。娯楽番組は中断され、テレビCMも自粛された。イギリスBBCなど海外メディアも惨状を伝えた。

 犠牲者、行方不明者は増え続けた。加えて、時々刻々と緊迫する福島第1原発の情勢を世界中が固唾を飲んで見守っていた。

 福島第1原発は1~6号機のうち、4~6号機は定期点検で停止中だった。運転中の1~3号機は、地震の揺れにより原子炉が自動停止した。その後、高さ14~15メートルとされる大津波が到達、地下にあった非常用ディーゼル発電機が水没し、機能しなくなった。全電源喪失という事態に陥り、原発の安全上最も大事な「止める・冷やす・閉じ込める」のうち、冷却ができなくなった。

 結果、1~3号機は燃料棒が溶け落ちるメルトダウン(炉心溶融)を起こした。1号機などでは水素爆発が発生。放射性物質が飛び散り、街や土壌が汚染されていった。原子力事故の深刻さを示す世界基準「国際原子力事故評価尺度(INES)」で、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故と同じレベル7とされ、原子力史上2例目の最悪の惨事となった。現在は1〜6機全てで廃炉に向けた作業が進められている。

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