このところ学校から課される宿題が形骸化するケースが目立っています。背景には日本の学歴システムの弊害なども存在しており、解決は一筋縄ではいかないようです。

写真:アフロ

 今年の夏、フリマ・アプリのメルカリに読書感想文が出品されているのがネット上で大きな話題となりました。400字詰めの原稿用紙に手書きで書かれたものですが、もちろん有名作家の作品ではありません。一般人の読書感想文をわざわざお金を出して購入するわけですから、そのまま夏休みの宿題として利用することが想定されているのは間違いありません。こうした感想文の中には、あえて下手な文章にすることで、大人が書いたことが分からないよう工夫されているものもあるようです。

 このケースはメルカリに出品されたことでたまたま話題となりましたが、実はかなり以前から宿題代行業者を利用する家庭が増えているそうです。こうした宿題代行を利用する目的の多くは、受験勉強に集中するため、宿題にかける時間を節約することだといわれます。直接、点数の評価対象とならない宿題を外注し、その分を受験勉強に充てれば、確かに受験には有利になる可能性があります。

 一般的に考えれば、これは望ましいことではありませんし、アンフェアといってよいでしょう。しかし、家庭内の問題に学校が深く立ち入ることは、いろいろな問題を引き起こしますから学校側は慎重にならざるを得ません。この問題の解決が難しいのは、親が宿題を手伝う行為との線引きが困難だからです。

 教育関連企業のベネッセコーポレーションの調査によると、小学生の子供を持つ親の約20%が夏休みの宿題を子供と共同で取り組んでいるそうです。親が軽く助言する程度であれば大きな影響はありませんが、中には親が本格的に手伝うケースもあるでしょう。そうなってくると宿題代行業者の利用がいけないとは必ずしもいえなくなってしまいます。

 日本はこれまで1回のペーパー試験で合否のすべてを決めてしまう選抜方法を続けてきました。宿題代行の普及もこうした社会慣習と密接に関係しています。最近では、受験一辺倒のやり方をあらため、多面的に評価する方向性が模索されるようになりました。しかし、多面的な評価を実施するには、評価側にも相応の見識が求められますし、客観性を保つためかなりの手間と工夫が必要となります。今の日本の教育現場でそれが実現できるのかは微妙なところでしょう。宿題代行の問題はそう簡単には解決しそうにもありません。

(The Capital Tribune Japan)