古くから武家などに伝わってきた「鷹狩り」の実演が19日、国宝松本城(長野県松本市)の本丸庭園で行われ、1000人を超す市民や観光客らが素早く獲物を追うタカの姿に感嘆の声を上げました。

[写真]タカをその場の雰囲気に慣らす「輪回り」

 鷹狩りの実演は市制施行110周年の記念イベントで、諏訪流放鷹(ほうよう)術保存会(事務局・東京青梅市)の鷹匠(たかじょう)ら5人が参加。

 専門家が「タカは繊細なので、場所に慣らすことが必要です」とマイクで解説すると、5人の鷹匠らがタカを腕に止まらせて登場。タカを静止させた姿勢を保ちながら静かに会場内を周回する「輪回り」を行い、会場の雰囲気をタカに伝えました。

 鷹匠と鷹匠の間でタカを行ったり来たりさせる「振替(ふりかえ)」などの訓練も披露。低空で素早く飛んで相手の手に止まるタカに観客から拍手も。一般の希望者も参加し、振替を成功させました。参加者は「タカは意外に軽かった」「タカの目がくりくりしていてかわいかった」などと話していました。

 鷹狩り用のハトを追う狩りの場面では、地面から飛び立ったハトをタカが追い、素早く捕らえて地面に降りる勇壮な動きに「おおー」という声が。松本城を訪れた観光客や外国人たちも盛んにカメラを向けていました。

[写真]松本城を囲んだ鷹狩りの観衆

 松本城での実演に合わせ、近くの公民館で専門家による講演会も開かれ、100人近い市民らで会場はぎっしり。「松本藩(水野家・戸田家)の鷹匠とその鷹術」のテーマで講演した長野県短大の二本松泰子・准教授は江戸時代中期の松本藩の鷹匠、外山好賢(とやま・よしかた)が残した鷹狩りや鷹匠に関する多くの文書を紹介、「松本藩の鷹匠は職人ではなく、武士であったのが特徴」などと説明しました。

 二本松氏は、江戸幕府の鷹匠頭は1000石を与えられた旗本で、その下にいた鷹匠組頭も250俵取りの旗本という厚遇を受けていたと指摘。しかし地方の中小の藩では鷹匠は職人の地位にあり、その中で大藩ではなかった松本藩が鷹匠を武士の身分としたことが注目されるとしました。

 講演会では長野県立歴史館の専門主事、村石正行氏も「小笠原三代――長時・貞慶・秀政の故実と放鷹」のテーマで講演。鷹狩りに熱心だった徳川家康が、小笠原貞慶から贈られた初鷹(はつたか。初めて狩りをする若いタカ)やサケなどを喜んで貞慶に送った礼状を新発見文書として紹介しました。

 村石氏は講演の資料で「江戸時代、鷹の使用は将軍家や大名などの限られた上級武家によって独占されていた。戦国時代でも“鷹の贈答”は身分関係を構築する上で重要な位置を占めた」と説明。鷹狩りが武家の時代に政治的な意味も持つ存在だったことなどを指摘しました。


■高越良一(たかごし・りょういち) 信濃毎日新聞記者・編集者、長野市民新聞編集者からライター。この間2年地元TVでニュース解説

この記事が気に入ったら「いいね!」をお願いします