悲願の初Vを果たした川崎フロンターレ優勝の背景に地域との一体感があった(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 ベンチに入れなかった選手だけでなく、鬼木達監督以下のコーチ陣やフロントスタッフも加わった歓喜の雄叫び。ピッチの中央で音頭を取り、カウントダウンとともに両手を突き上げた川崎フロンターレの大黒柱、37歳のMF中村憲剛が握っていたのは「風呂桶」だった。

 タイトルを獲得したチームによる、表彰式後の恒例の光景。しかし、本来掲げられるシャーレは、J1最終節が2日午後2時に同時キックオフされた時点で首位だった、鹿島アントラーズが戦うヤマハスタジアムで待機していた。

 しかし、鹿島はジュビロ磐田と痛恨のスコアレスドロー。勝ち点2差で追っていた川崎は大宮アルディージャを5‐0で一蹴して勝ち点72で鹿島に並び、得失点差で大きく引き離す逆転劇でJ1を制覇。ホームの等々力陸上競技場で悲願の初タイトルを獲得した。

 今シーズンで最多となる2万5904人の大観衆が見守る聖なる瞬間。Jリーグ側からシャーレの写真が貼られたボードが代役として手渡された一方で、川崎も独自のアイテムを用意していた。

「最初はエッと思いましたけど、それもウチらしくていいかなと」

 川崎ひと筋15年目のレジェンドを苦笑いさせた「風呂桶」の裏には、シャーレが描かれていた。実はこの「風呂桶」にこそ、J1のなかでは後発組の川崎が強豪へ成長した理由が凝縮されている。

 アマチュアの旧JFLで主に2部を戦っていた富士通サッカー部は、近い将来のJリーグ参入を目指して体制を一変し、1997シーズンからJリーグ準会員となり、名称を「川崎フロンターレ」に変えた。

 前年から等々力陸上競技場での主催試合を増やしていたとはいえ、川崎市や市民の反応は芳しいものではなかったと、川崎の藁科義弘代表取締役社長は振り返る。

「川崎という町のイメージが非常に悪いと言われ、プロ野球の大洋ホエールズやロッテ・オリオンズが去ったこともあって、『どうせお前らも本気じゃないんだろう』と言われながらの、まさに逆風のなかでのスタートでした」