日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。同じモンゴル民族のモンゴル国は独立国家ですが、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれています。近年目覚ましい経済発展を遂げた一方で、遊牧民の生活や独自の文化、風土が失われてきました。

 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録するためシャッターを切り続けています。アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。


【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第6回

砂漠化は深刻になりつつある。遠くに定住化した遊牧民のレンガ造りの家が建つ=シリンゴル盟・シローンフフ・ホショー(2012年3月撮影)

 自然が愛され、残されてきた内モンゴル高原では、清朝の衰退に伴って、それまで万里の長城より北の草原への入植を禁じてきた法令がなくなり、漢族農民の入植による開墾を皮切りに、広範囲の草原が農地に代わった。

 内モンゴルの草原は一見肥沃だが、実は大変もろい土地であり、農業には適していない。何年も経たないうちに農業ができなくなるため、農民たちはさらに広い範囲まで農地を求めた。そして遊牧民たちを虐殺し、追いはらい、その土地を農地として手に入れてきたという暗黒で残酷な歴史があった。

 多くの遊牧民はふるさとを離れ、国境近くのゴビ地帯や砂漠地帯に逃れることになり、豊かな牧草地を失った。現在は内モンゴルの南半分の地域では、ほぼ遊牧生活はなくなって、農業を営む農村が広がる。そこに残された遊牧民の末裔も、漢語の名前を持ち、農民になって農業に従事するようになった。

 200年ぐらい続いた、長年の無計画な開墾が、砂漠化問題の真の要因の一つだ。

のどかな田舎のひとこま=フロンボイル市・シニバルグバロン・ホショー(2015年8月撮影)

 新中国になってから、遊牧文化は否定されて定住化が進められた。その過程で、伝統文化は急激に衰退し、それに伴い、環境悪化がますます深刻になった。

 1990年代後半から危機が増す砂漠化の問題、あるいは北京やさらに日本まで飛んでくる砂嵐問題の原因として、家畜の数が多すぎる、つまり「過放牧」が指摘されるようになり、対策として「禁牧」が打ち出された。

 しかし、少数ながらこれに異議を唱える研究者もいる。私も遊牧社会に対するこの指摘は間違っていると思っている。実際、内モンゴルで家畜の数は大きく減っているのだ。(つづく)

※この記事はTHE PAGEの写真家・アラタンホヤガさんの「【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮るーアラタンホヤガ第6回」の一部を抜粋しました。

内モンゴル自治区の地図


アラタンホヤガ(ALATENGHUYIGA)
1977年 内モンゴル生まれ
2001年 来日
2013年 日本写真芸術専門学校卒業
国内では『草原に生きるー内モンゴル・遊牧民の今日』、『遊牧民の肖像』と題した個展や写真雑誌で活動。中国少数民族写真家受賞作品展など中国でも作品を発表している。
主な受賞:2013年度三木淳賞奨励賞、同フォトプレミオ入賞、2015年第1回中国少数民族写真家賞入賞、2017年第2回中国少数民族写真家賞入賞など。

この記事が気に入ったら「いいね!」をお願いします