戦後日本を代表する政治家に吉田茂がいます。晩年まで過ごした神奈川県大磯町の旧吉田邸には、吉田茂を仰ぎ、その後の高度経済成長期に入る日本の飛躍を受け継いだ数々の政治家が訪ねました。

 建築家であり、多数の建築と文学に関する著書でも知られる名古屋工業大学名誉教授、若山滋さんが、その舞台となった旧吉田邸を取り上げ、敗戦間もない日本をけん引した吉田茂とその時代を執筆します。


黒幕のイメージは和風

豪壮な門構え(兜門)

 松本清張の全盛期、映画やドラマに、湘南あたりに隠居する老人が政財界に絶対的な力を振るう「黒幕」として登場するシーンがよくあった。

 左翼的な傾向の民主主義を弾圧する保守主義者のイメージであるが、決まってみごとな庭をもつ和風の豪邸に住んでいる。晩年の吉田茂とその邸宅が一つのモデルであったと思われる。
 
 大磯の吉田邸は、兜門といわれる古風な門をくぐって左手の小高い丘に建てられ、相模湾と富士山を見渡す絶景である。前回、岩崎邸の記事で、明治文学における洋風住宅を強い女性のメタファーとしたが、昭和時代の文学やドラマにおける豪壮な和風住宅を、強い男性の、特に黒幕的権力のメタファーとして位置づけることが可能だ。

屈辱からの毅然

二階の寝室へ

 日本の戦後は、無条件降伏から始まった。

 戦艦ミズーリ号の甲板で、米兵がいかめしく取り囲む中、重光葵が脚を引きずりながら降伏文書にサインする姿は、戦勝国と敗戦国の立場をハッキリと示し、その少しあと、燕尾服姿で直立不動の昭和天皇とノーネクタイでくつろぐマッカーサーとが並ぶ写真は、国民に決定的な屈辱を感じさせた。かつての現人神が、敵国の軍人に屈服しているのである。

 トヨタ自動車の石田退三は、居並ぶ社員を前に「とにかく飯を食わねばならぬ」と発言して仕事に取りかかったというが、それが大方の日本人の正直な気持ちであったろう。無条件降伏とは徹底的な屈辱であり、とにかく飯を食うことであった。

 しかしこの列島に一人、毅然とした政治家がいた。

 偉丈夫ともイケメンともいえない小男が、日本を統治する大きなアメリカ人に、堂々たる態度で対応したのだ。吉田茂である。