伊藤博文<左>山県有朋<右>(近代史写真より)

 松本清張は近代日本史をテーマにしたノンフィクションを数多く残しました。『昭和史発掘』では、たびたび天皇制について論じ、後半人生において現在を予見するような言葉を残しています。清張はどのように天皇制を捉えていたのでしょうか? ノートルダム清心女子大学の綾目広治さんが解説します。

【連載】松本清張作品から「いま」を読み解く

戦前の天皇はなぜ神格化されていったのか 秘密を紐解く小説『象徴の設計』

 戦前の天皇制の秘密に迫ろうとした小説が、1962(昭和37)年3月から翌1963(昭和38)年6月まで「文藝」に連載された小説『象徴の設計』である。これは史実に基づいた小説である。ここで、「象徴」天皇制は戦後のものであって、戦前は違うのではないかという意見があるかもしれない。しかし政治学者によれば、どんな制限君主であっても、王たる者は「象徴」の機能を果たすのであり、したがって戦前の天皇は、国家の主権者であるとともに「象徴」でもあったのだという。だから、『象徴の設計』は間違った題目ではないのである。では、戦前の天皇制はどのようにして成り立っていったのであろうか。その答えはこの著作の題名が、よく表している。つまり、それは作為的に「設計」されたのである、と。

 物語は1878年(明治11)年に実際にあった竹橋事件から始まる。これは竹橋の近衛砲兵連隊の兵士たちが棒給削減に対する不満から起こした暴動事件であった。事件はすぐに収まったのだが、このような騒動が自由民権運動と連動することを恐れた陸軍卿の山県有朋(やまがた・ありとも)は、軍人教育を徹底させなければならないことを痛切に感じる。彼は、兵士たちが拠り所とするべき「精神的な象徴」が未だないのに苦慮していたのである。そんな時、山県有朋は大谷派真宗僧侶の南条文雄から、南条が英国留学中にオックスフォード大学の学者に新しい日本の代表的宗教は何に決めたらいいかと聞いたところ、その学者は神道も仏教もキリスト教も具合が悪いが、天皇の伝統が久しいので、「皇室の尊厳を宗教に代えたらどうだろう」と示唆されたことを聞く。

 そこで山県は、「軍隊の信仰を天皇に置」くことを思いつき、「天皇の人格を神にまで形成させることである」と考える。そして、「軍人勅諭」も山県有朋好みの「荘重な字句」を織り込みながら、天皇が直接に兵に語りかける文章にしたのである。それについて清張はこう述べている、その文章の「荘重さが天皇が『神』であることに(略)似つかわしいからである。それは神前で奏する神主の祭文と比較すると、その酷似性がよく分る」、と。

 この「軍人勅諭」によって軍隊は天皇に直属することになり、これが「統帥権の発生であった」。やがてそのことは、「天皇の神格化に結びついてゆく」ことになるのであるが、軍が天皇に直接隷属することは、天皇を抱え込んでいる山県有朋や伊藤博文らの藩閥政府官僚にとっては、実は軍を自分たちに「密着させる」ことであった。