「ここではないどこか」を求めて、都会から地方へと居を移していく。現在に連なるムーブメントのはじまりは、1980年代にあった。80年代初頭の不況を経て、プラザ合意からバブル景気へと向かう時代。それは、高度成長期から続いていた「働いて豊かになろう」という意識に、日本人が突き動かされていた最後の時代であった。そんな最後で最高の狂乱期。既に、疲弊をしている人は多かった。

伊那谷楽園紀行・住みたくなる<人々>を求めて

地方への憧れ、それはイタリアブームから始まった(アフロ)

 その疲弊の中で存在感を強めたのが、イタリア文化への憧れであった。今では、イタリアブランドのファッションは、ごく当たり前のものとして定着している。三色旗を掲げた、イタリア料理店はある程度の街ならば、必ず数軒は目にする。パスタは日本人好みにローカライズされて国民食として定着した。エスプレッソコーヒーがメニューに書かれている喫茶店も、珍しくないものになった。そうしたイタリア文化の導入は、日本人の田舎への憧れとリンクしていた。 

 80年代の日本人がイメージしていたイタリアは、一種の桃源郷であった。ライフスタイルは、エレガントそのもの。立ち振る舞いは洗練されていて、ラフで細かいことを気にしない。そして、消費社会に飲み込まれていないこと。高度成長の弊害を体験した70年代を経て、日本人の意識のどこかには大量消費することへの罪悪感が芽生えていた。「消費社会」という言葉は、ネガティブなイメージを持つ時代のキーワードでもあった。イタリアは、そうした消費社会を既に脱却している。消費に溺れず、都市を囲む田園風景の中で、自然に囲まれて生きている。食べるものも、その土地で獲れた確かなものばかり。健康的でかつ洗練された料理の数々。それらは、ただただ格好のよいものと見られていた。

 新鮮な素材の味を追求しながら、どこまでも奥深い味覚を追求する彼らの手さばきは芸術的ですらある。まさに、文化が料理を生むのだ。

 とは、雑誌一冊すべてを「イタリア気になり大特集」に割いた『POPEYE』1984年3月25日号の一節。

 オシャレなのに堅苦しくない。そんなイタリア文化の中で、もっとも親しみやすかったのがイタリア料理だったというわけだ。『BRUTUS』1989年9月1日号掲載の「イタリア料理から何を学ぶか。」は、食を通じてイタリアがまさに地上の楽園のごとく記述されている。一流レストラン=ネクタイと発想する遅れた日本人と違って、イタリア人は三つ星レストランにもラコステのポロシャツで出入りする。かといって、オシャレを忘れたわけではなく、デニムの時はトラッテリアには入っても、リストランテには入らないという姿を上質な文体で記している。