星野氏が生前に語った金本監督の阪神移籍秘話(昨春沖縄キャンプにて。写真・黒田史夫)

球界全体に星野仙一氏急死のショックが広がっている。突然すぎる闘将の訃報に野球界だけでなく、芸能界や政財界からも、故人を偲ぶ声が止まらない。“男・星野“が、いかに多くの人に愛され信望を受けていたか。多くの人の人生にかかわってきた、その足跡の偉大さを象徴しているようだ。

 阪神の金本知憲監督も、星野氏に人生を切り開かれた一人だ。もし星野氏が、2002年オフに広島でFAとなった金本氏を阪神に誘わなければ阪神でキャリアを終えていないだろうし監督にもなっていなかっただろう。

 金本監督は“恩師”の訃報に際し、わざわざ球団事務所で会見を開き公式HPに追悼のコメントを掲載した。

 以下が、その要約だ。

「いまだに受け入れられないという気持ちです。最後にお会いした昨年12月には『しっかりブレずに自分の思うように頑張れ』『絶対にタイガースは強くなるから辛抱してやれよ』と激励の言葉をかけてくださりました。タイガースに来て2回も優勝させていただいて、本当にいい思いをさせていただいたのは星野さんのおかげです。私の中では関西の父親代わりみたいな存在でした。少しでも良いところは生かして、常に胸の中に思いながら戦っていきたいと思います」
 
 金本獲得に関する秘話を生前の星野氏に聞いたことがある。

「阪神を本当に変えるためには、チームの血を入れ替える必要があった。カネのように闘争心があり、負けることをとことん嫌い、努力を惜しまない兄貴分的なリーダーがチームに必要やったんや」

 2001年オフ。名将・野村克也氏の辞任を受け中日監督から阪神監督に間を置かず電撃就任した星野氏はその初年度はチームの様子を見ていた。開幕から7連勝。6月上旬までは首位を走り“星野フィーバー”を起こした。だが、結局、Bクラスの4位。大胆なチーム改革、“血の入れ替え”の必要性を感じた星野監督は、久万オーナーを情熱をもって説き伏せ、本社の“金庫”を開けさせた。
 用意された再建資金は50億円とも60億円とも言われた。
 星野伸之氏、弓長起浩氏、船木聖士氏、遠山奬志氏や、外国人選手ら20人を退団させた上で大型補強に乗り出す。
 その目玉が広島からFA宣言した金本氏だった。

 だが、当時、広島の監督は、山本浩二氏。東京6大学時代から田淵幸一氏と3人で苦楽を共にし、ときにはライバルとして、ときには同期生としてしのぎを削ってきた大親友である。
 その親友からチームの主軸を奪うことが心苦しくなかったか?と聞くと「筋を通した」という。

「カネがFAになったとき、浩二に“獲りにいってええか”と聞いたんや。そしたら“出ていくならええよ”と。浩二の了解を得たんやから、遠慮はいらんわな(笑)」

 後に山本浩二氏は「出ていくとは思わなかった。仙ちゃんに強引にやられた」と悔しがったそうだが、星野監督は、親友だからこそ、なおさら「信義」を大事にした。
 
 親友の了解を得てからの星野氏の動きは早かった。
 
 FA交渉が解禁になるとすぐに交渉舞台を設定して自らが出馬した。