前橋育英の山田監督(右)は36年目にして初の全国制覇(写真・アフロスポーツ)

 優勝監督インタビューを受けているお立ち台の上から、前橋育英(群馬)を率いて36年目になる山田耕介監督(58)は埼玉スタジアムのメインスタンドを見上げた。一度だけでなく、二度、三度と。

「いやぁ、ずっと負けていたものだから、景色はどうなのかなと。でも、(いままでと)あまり変わらなかったかな」
 決して本心ではない。視線を上げなければ、眼鏡の奥から涙がこぼれる光景が全国に生中継されてしまう。景色うんぬんは精いっぱいの照れ隠しだった。

 ほんの数分前。後半アディショナルタイムに決まった先制弾が決勝点となり、21回目の出場にして悲願の初優勝を勝ち取った直後。ベンチ前のテクニカルエリアで、山田監督は立ち尽くしていた。

 昨夏のインターハイ王者、流通経済大学柏(千葉)を撃破したイレブンが目の前で号泣している。ピッチになだれ込んできた、リザーブやベンチ外の選手たちも然り。その時点から涙腺を緩ませていた指揮官はインタビューの途中で我慢の限界に達し、左手で目頭を覆った。
 
 脳裏には1年前に喫した悪夢が色濃く刻まれている。2017年1月9日。2年ぶり2度目の決勝戦の舞台で、ともに初優勝をかけて対峙した青森山田(青森)に0‐5と屈辱的な惨敗を喫した。

「指導者仲間のみんなからは『日本で一番勝負弱い』と言われています」

 試合後の監督会見で、準優勝を自虐的に総括して会場の笑いを誘った。2014年度大会も星稜(石川)の初優勝の引き立て役になった。その前にはベスト4で4度散っている。

 それでも、ファイティングポーズを失うわけにはいかない。準優勝という結果すら吹き飛ばされた雰囲気が漂う青森山田戦後のロッカールーム。山田監督はカミナリを落とした。

「絶対に忘れるなよ。ここからだぞ。限界なんてないんだよ。行くしかないんだよ」

 青森山田戦には、先発6人を含めた7人の2年生がピッチに立っていた。経験したことのない悔しさは、捲土重来を期す糧になる。傷口に塩を塗るような行為になることはわかっていても、心を鬼にして厳しく叱り飛ばした。指揮官自身も一人になったときに泣いた。

「それくらい、あの敗戦は強烈でした。練習試合でもああいうふうにやられることはないですから。でも、決勝のピッチにいたということは、すごく大きな財産になる。しかも、経験者が何人もいるわけですから。1年間、泥臭くという言葉を何回も使いました。技術とかスキルとかじゃないよと。歯を食いしばってボールを追い続けた結果が、今日出たんじゃないかなと」

 3年間で準優勝が2度。初戴冠への流れをつかみかけていると実感できたからこそ、求められる最後のピースをメンタルに置いた。ちょっとでも弛緩したような空気を感じ取れば、ミーティングで青森山田戦の映像を見せて「おい、忘れているだろう」と屈辱を思い出させた。