マルカジ難民キャンプで暮らす少年たち。土漠の中にある難民キャンプでの生活は非常に過酷だ=2017年11月30日撮影

 中東のイエメンが2015年1月のクーデターを機に内戦状態に陥ってから、丸3年経過しました。その対岸、アフリカ北東部に位置するジブチ共和国には、内戦を逃れてきたイエメンの人々が暮らす難民キャンプがあります。飢饉やコレラの蔓延により、人口の8割にあたる約2000万人が何らかの人道支援を必要としていると言われるほど危機的状況にあるイエメンですが、他の紛争地や内戦による難民と比べ、国際社会の関心はあまり寄せられていません。

 イエメンを追われた人たちを取材するため、フリーカメラマン、森佑一さん(32)がジブチの難民キャンプを訪ねました。国際的に“忘れ去られている”内戦の被害者であるイエメンの人々は、現在どのような暮らしを送っているのでしょうか。

イエメンを望む港町オボック

イエメン難民が渡ったジブチ共和国オボックの地図

 四国ほどの面積しかないジブチ共和国。国のほとんどが砂漠で、夏場は摂氏50度にも達する灼熱の地です。私が訪れた2017年11月26日から12月6日は、暑さが和らぐ時季でしたが、それでも日中は日差しが強くうだるようでした。

 ジブチは人口は約95万人、イスラム教徒が9割以上を占め、公用語はアラビア語とフランス語です。ソマリア沖の海賊対策として、フランスやアメリカをはじめとした西欧諸国が基地を置き、日本の自衛隊基地もあります。国連機関のデータでは、内戦が激化した2015年3月以降から2017年10月にかけて、イエメンからはおよそ19万人がサウジアラビアやオマーンなど周辺諸国へ逃れ、そのうちジブチには約3万7000人の難民がやってきたといいます。

静かな田舎の港町……200人、300人乗せた避難船がイエメンからやってきた

オボック港、週2便のジブチ市行きのフェリーには数多くの人々が乗り込み、大量の物資が積み込まれる=2017年12月6日撮影

 そのジブチの中でも最もイエメンに近い北東部に位置するオボック州に入りました。多くの人々が漁で生計を立てているらしく港にはたくさんのボートが係留され、早朝には漁に出ていく姿を目にしました。市場やレストランが活気付くのは午前中か夕方以降で、暑い日中は長い昼休みを挟むため町は静まりかえります。

 このように静かで小さな田舎の港町という印象を受けるオボック。しかし現地のNGOスタッフの話によると、内戦の激化に伴い、2015年ごろは毎日のように200人、300人もの人々が避難船に乗り、紅海やアデン湾を渡って逃れてきた、といいます。

 「これはイエメンの水で、毎日の様に運ばれてくるよ。」
 昔からイエメンとの間で人や物の行き来、文化的なつながりがあるこの町では内戦中の今も物資の往来はあるらしく、商店に山積みにされていたペットボトル飲料水について尋ねると、店主が答えてくれました。また、難民ではなく、以前よりレストランで働いたり、漁師で生活しているイエメン人も少なからずいます。

 ゆったりとした時間が流れ、犬や猫、ヤギなどの動物たちも見かけました。動物たちは、日中は人々と同様に日陰などで休み、町が活気付く時間帯になると、市場やレストランで食べ物のおこぼれをもらい、生活に溶け込んでいました。海辺では美しいアデン湾を望めますが、少し町を離れれば、乾燥に強い針葉樹以外には何もない荒涼とした土漠が広がりはじめました。