映画『麗しのサブリナ』より

 銀幕の妖精と謳われた女優・オードリー・ヘプバーンは、今年で没後25年になります。今までのハリウッド女優には見られなかった、スレンダーな体型と個性的な顔つきは、当時のみならず、今でも世界中の人々に愛されています。ジャズの世界でもヘプバーンに魅了されていたミュージシャンがいたようです。ヘプバーンとジャズの関係をジャズ評論家の青木和富さんが解説します。

【連載】青木和富の「今夜はJAZZになれ!」

オードリー・ヘプバーンをイメージして作られた曲

ポール・デスモンド(カール・ヴァン・ヴェクテン撮影)

 東京・日本橋三越のオードリー・ヘプバーン写真展を観に行こうとしたが、気が付いたら終わっていた。ヘプバーンは、1950年代のハリウッドに登場したまさに妖精のような女優だった。映画『ローマの休日』に代表されるデビュー当時の美しさは、どこか日本のカワイイ文化に通じているのか、ハリウッド・スターの中でも、ヘプバーンは日本では別格的な神話的存在と言っていいだろう。当時のハリウッド・スターというと、グラマラスでセクシーというのがほぼ絶対的条件で、これは今でもバストを強調する服を着るアメリカ女性につながっている。ハリウッド映画第2作『麗しのサブリナ』を監督したビリー・ワイルダーは、ヘプバーンは、女性の大きな胸を過去の遺物にしてしまうだろうと言ったそうだが、そうはならなかった。文化の根は深い。一方、日本の若い女性は、胸を隠し、むしろ脚を露出するのが海外では不思議がられている。これをセクシーと受け取る人もいるが、むしろカワイイにつながる日本独自の美意識と思う。

 余談はさておき、ヘプバーンは、それまでのハリウッド美人スターの概念を根底から変えたのは間違いない。以下、いささか強引な話だが、この1950年代前半の美意識の変化は、当時のジャズ・ミュージシャンの感性にもつながるように思う。ヘプバーンとジャズが直接つながるエピソードはほとんどないけれど、アルト・サックスのポール・デスモンドの代表的なオリジナルに「オードリー」という曲がある。これは森の中を歩くヘプバーンを思い描いて作ったということだが、如何にデスモンドが、デビュー当時の妖精のようなヘプバーンの美しさに魅せられたかということが分かる楽しいエピソードだ。評論家のナット・ヘントフによると当時、彼はデスモンドと大の仲良しで、よくボストンのバーでヘプバーンの話で盛り上がったと回想している。

 しかし、よく考えると、ポール・デスモンドのアルト・サックス自体が、いかにもヘプバーンのように優しく優雅で、そして、あのヘプバーンの笑顔のように、どこまでも柔らかでどこか哀しいユーモアをたたえた世界だったように思う。デイブ・ブルーベック・カルテットの一員だったデスモンドは、後にこのグループの最大のヒット曲で、5拍子という変拍子の曲「テイク・ファイブ」の作曲も手掛ける。本人はその人気にいささかうんざりしたようなところがあった。当時のライブは、ドラムのジョー・モレロの長丁場のドラム・ソロが大人気で、デスモンドはその間ステージから離れ、コーヒーを一杯楽しんで戻ってみると、まだモレロのソロで会場は沸いていたとか。ほかのメンバーは演奏中、観衆に笑顔を振りまくが、自分はサックス担当なので、いつも厳めしい顔を客席に見せるしかなったとか。いかのもこの人らしいユーモアを交え、当時を振り返っている。ヘントフによるとデスモンドは、ユーモア溢れる文章の才人で、この方面でも名を残したに違いないと語っている。

 デスモンドは、ヘビー・スモーカーでウイスキーが大好きで、若い頃は薬物にも手を出した人だった。結局、肺がんで孤独な最期を迎えた。晩年、アパートのドアは、いつも開かれていたという。しばしばチャーリー・ミンガスが、チェスをしたくなったんだと言って訪れたという。怒りのミンガスと言われる激情的なミンガスだが、ベッドに横たわるデスモンドと一体どんな会話をしながらチェスをしていたんだろうと思う。

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