伊那谷から望む山々

 移住を夢見る人が必ず読むであろう宝島社の雑誌『田舎暮らしの本』。そんな雑誌が年初の恒例として掲載するのが、「住みたい田舎」ベストランキング。2018年2月号に掲載された最新ランキングで、伊那市は4年連続のベストテンから外れた。とはいえ、伊那市に代わって、上伊那からは辰野町が、シニア世代部門で全国トップにランクイン。さらに、全国トップ40以内に、上伊那8市町村のうち4市町村が名を連ねている。

 伊那谷に住まう人々にとって、これは嬉しいけれども不思議なこと。

「もしも、移住を考えるならば1月、2月の寒さを体験してからでもいいんじゃないかな」

 そう話すのは、伊那市役所の高遠町総合支所農林建設課に勤める牧田豊。50数年を伊那谷で生きてきた彼にとっても、これは少し不思議な光景のようだ。

 ほかの地域に比べて、移住を考える人々に、手厚いケアを行っているわけでもない。なのに、人気の土地になっていることは、土地の話に通じた牧田でも説明しにくいことのように見えた。

 でも、牧田の話してくれた、ひとつの体験を聞いて、その理由がぼんやりと見えてきた。それは、毎年恒例の「伊那まつり」のエピソードだ。その始まりは「伊那の勘太郎碑」の建立を機に始まった「伊那の勘太郎祭り」。  

 その名称で開催されていた15回目まで祭りは、碑が建立された9月15日に花火を打ち上げ、芸妓や商店街の女性たちが踊るというものだった。

 その名称が「伊那まつり」に変わり8月の夏祭りとなった経緯としてあげられるのが勘太郎の扱いであった。社会情勢の変化の中で、架空の人物とはいえ、やくざ者を主役にした祭りは許されなくなっていった。そして祭りの名前も変わったと、伊那谷の人も信じている。けれども、牧田に話を聞くと、それは後付けの説明ではないのかと思えてきた。

 毎年、決まった日に花火を上げて「伊那節」と「勘太郎月夜唄」にあわせて踊る。そのルーティーンに限界が来ていたのだ。

 そんな祭りを、夏祭りとして「発展的解消」する案は、大いに歓迎された。なぜなら、新しい町である伊那市には祭りがなかったからだ。伊那谷の中でも、古い地域には伝統的な祭りがある。城下町の飯田では各町内に神社があって、祭りをする伝統が長らく続いている。ところが新しい町である伊那市では、地域の祭りらしいものが存在していなかった。あるとすれば、春に市内の山寺地区で行われる八幡社白山社合殿の例祭「やきもち踊り」程度。僅かな地域で小さな祭りしか行われていない中で「伊那まつり」は、町を挙げての祭りと期待されたのだ。

 けれども、その目論見も次第に失速していった。

【連載】伊那谷楽園紀行・住みたくなる<人々>を求めて

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