日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面し、同じモンゴル民族でつくるモンゴル国が独立国家であるのに対し、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれ、近年目覚しい経済発展を遂げています。しかし、その一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土が失われてきているといいます。

 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのか。

 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。


【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第7回

エルドニ・オボー祭りにきた遊牧民がベースンスム本堂の前で手を合わせ、お経を静かに聞きながら、祈る=シリンゴル盟・シリンホト市(2015年6月撮影)

 モンゴル民族は敬虔な仏教徒である。彼らは日本や韓国と同じ、仏教を信仰している。モンゴル社会に仏教が伝来し、その社会や文化に強い影響を与えるようになってからすでに何百年が立った。13世紀以降の彼らの歴史や文化や芸術を語る上で、仏教は切っても切れない。しかし、社会主義になってから仏教は悲惨な弾圧と徹底的な破壊を受けた。 

 シリンホト市にはベースインスム(貝子廟)、またの名を「アリア・ジャンルン・パンディタ・ヒードゥ」、清朝からは「崇善寺」という名前を与えられた大きな寺がある。当時、寺の名前は満州語、モンゴル語、チベット語と中国語の四つの言語で命名されることが一般的だった。内モンゴルでも有数の学問寺であり、最盛期に2000人以上のラマがいたという記録が残されている。

 何回かの火事や文化大革命の破棄によって、寺は廃墟になってしまった。子供の時は、寺の前に市場があったので、母と買い物に行く際、よく寺の壁を見ていた。そこには弾痕が沢山残っていた。

 中学2年のとき、寺の前に遊んでいると、知らないお爺さんに声をかけられた。彼は1940年代に解放軍の一員として、この寺で戦った元軍人だった。私に「ここにある弾痕は私たちが戦った戦闘の証拠だよ」と語っていたことを今も覚えている。