安田善次郎(大日本帝国近世人名辞彙 第1輯)

 富山から江戸へ出て、小商いから両替商へ、そして銀行や生命保険会社を立ち上げた安田善次郎の快進撃は、とてもすがすがしいエピソードにあふれています。金を儲けても、偉くなっても、みずから動き、学び続けるという上昇志向は、ずっと持ち続けていました。また、相場師としては、王道でありながらも、なかなか実践できない方法で、大きく儲けることもありましたが、ときには失敗もありました。相場師として最も勢いのあった時代について、市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。


  みずから簿記を学び、経理部員のごまかしを許さず

 安田財閥の祖・安田善次郎はエピソードの多い人である。明治の実業人のエピソード集『実業家奇聞録』に最も頻繁に登場するのが安善こと安田善次郎。安田は50歳のとき、西洋簿記を習い始めたという。

 「昨今、耳順(60歳)の豪商概ね簿記法に精しからずして往々、会計部員のまん着(ごまかし)を免れざれども、ひとり安田は奥義を極めしゃくしゃくとして余裕あり。ここをもって安田の帳簿検査はすこぶる迅速にしてかつ誤りを発見するに長ぜり。故に安田の監査に接するものは皆胆をつぶすという」

 明治30年代のことだが、いい年をした豪商たちは簿記にうとく、経理部員にごまかされることも珍しくなかった。しかし安田だけは違っていた。50歳のとき、みずから簿記を勉強していたので帳簿検査だというと経理部員たちは戦々恐々としていたという。



 

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