晩年の安田善次郎(矢野文雄著『安田善次郎伝』)

 安田善次郎の息の掛かった銀行が続々と誕生する一方、経営が立ち行かなくなった企業もたくさん存在しました。みずからが行動し、富を蓄積していった安田は、まず何よりも“人”を大切にしていました。安田の人柄の片鱗を知ることができるエピソードと晩年を市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。


  安田家の下男・平助の話

 安田善次郎のエピソードをもう1つ。

 ――安田家の下男に平助という者がいた。明治初めのこと、横浜に商用で出掛けての帰り、汽船の蒸気機関が破裂して船客数十人が死ぬという大事故が発生した。この時平助も重傷を負ったうえに肌身離さず持っていた金1000円(現在ならざっと1000万円か)を失う。善次郎はこの報に接すると、人をやって平助の治療に専念させ、1000円の安否は問わなかった。平助は生来、質実温厚の人柄で、盛んに言うには「私は店主の命令で横浜に来て、この災難にあいました。自分の命は惜しいことはありませんが、1000円の所在を突き止めないで死んでいくのは耐えられません」。翌朝、汽船会社から使いがあって「紛失したお金が見付かった」とのこと。平助はこのことを知ってうれし泣き、そしてその夜死んだ。善次郎は慨嘆しながら言った。『1000円の金は幸い見付かったが、平助を失ったのは私にとっては数倍の悲しみである』。そして善次郎は平助の霊を手厚くほうむった――。

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