日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面し、同じモンゴル民族でつくるモンゴル国が独立国家であるのに対し、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれ、近年目覚しい経済発展を遂げています。しかし、その一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土が失われてきているといいます。

 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのか。

 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。


【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第7回

文化大革命中に破壊されたシャンドインスム。美しい絵が今でも色鮮やかに残っている=シリンゴル盟・シローンフブートチャガン・ホショー(2016年9月撮影)

 モンゴル民族は敬虔な仏教徒である。日本や韓国と同じ、仏教を信仰している。モンゴル社会に仏教が伝来し、その社会や文化に強い影響を与えるようになってからすでに何百年が立った。13世紀以降の彼らの歴史や文化や芸術を語る上で、仏教は切っても切れない。しかし、社会主義になってから仏教は悲惨な弾圧と徹底的な破壊を受けた。

 私は内モンゴルの各地に残された寺の廃墟を撮影し、一つの記録としてまとめている。内モンゴルにはこのような寺は沢山ある。

 モンゴル民族は遊牧民族なので、農耕民族に比べると建物による遺跡は殆ど残されていない。もちろん、モンゴル帝国初期の都だったカラコルムやフビライが即位し、その後、長い間夏の都として使用されたシャンドホト(上都)など世界遺産にも登録された遺跡は広く知られている。

 彼らはゲルをもって遊牧生活をしてきたので、建物を作る習慣はなかった。さらに、墓すら作らなかった。彼らは風葬、火葬や埋葬を行っていたが、墓にマウンドを作ったり、石碑を建てたりする習慣は殆どなかった。

 そこで、モンゴルの歴史や文化等を研究する場合には、漢文を利用することが多い。遺跡として残された建築物というと寺しかない。そのため、私はモンゴル高原に多く残されている寺の廃墟を撮影し、記録すべきだと思っている。先にも書いたように、修復されるとむしろ大事な情報が全部消されてしまうため、その前に撮影により、記録するべきである。(つづく)

※この記事はTHE PAGEの写真家・アラタンホヤガさんの「【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第7回」の一部を抜粋しました。

内モンゴル自治区の地図


アラタンホヤガ(ALATENGHUYIGA)
1977年 内モンゴル生まれ
2001年 来日
2013年 日本写真芸術専門学校卒業
国内では『草原に生きるー内モンゴル・遊牧民の今日』、『遊牧民の肖像』と題した個展や写真雑誌で活動。中国少数民族写真家受賞作品展など中国でも作品を発表している。
主な受賞:2013年度三木淳賞奨励賞、同フォトプレミオ入賞、2015年第1回中国少数民族写真家賞入賞、2017年第2回中国少数民族写真家賞入賞など。