平昌オリンピックは、あす8日から一部競技予選が始まり、9日開会式が行われます。しかし開幕前には、北朝鮮の参加と米韓合同軍事演習のオリンピック会期中延期をめぐる駆け引きがあったり、ドーピングに揺れたロシア選手をどう扱うか、安倍首相が開会式を出席するかどうかなど、およそスポーツの祭典に似つかわしくない話題ばかりが目立ちました。

 建築家で文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋さんが「政治化する平昌オリンピック……スポーツと帝国主義・資本主義・ネット社会」と題し、考察します。

政治化するオリンピック

2018平昌五輪のスキー場( 写真:ロイター/アフロ)

 いよいよ平昌オリンピックだ。

 羽生や小平や高梨への期待もあるが、朝鮮半島の動向も気にかかる。当初は北からの脅威で参加国が減ることが危ぶまれ、現在では南北融和の象徴として政治的に仕立てられている。

 これに対して、アメリカをはじめとする北の核兵器を破棄させようとする国々は、その制裁圧力が損なわれることを懸念し、安倍首相も参加しない方針であったが、諸事情を考慮して開会式参加となった。その経緯には、北朝鮮問題だけではなく従軍慰安婦日韓合意の問題も絡むとされる。またロシアはソチ五輪における組織的ドーピングで、国家としては参加せず、選手個人の参加となった。

 つまり近年には珍しいほど、政治色の濃いオリンピックとなっているのだ。

 政治と絡んだオリンピックといえば、まずナチス政権下のベルリン・オリンピック(1936)が思い浮かぶ。ヒトラーはこれを民族意識高揚に最大限利用した。レニ・リーフェンシュタール監督(元ダンサーの美女)の映画『オリンピア(民族の祭典・美の祭典)』は秀逸な芸術的記録映画であったが、たしかにゲルマン民族礼賛の匂いが強い。

 僕がヒッチハイクでヨーロッパをうろついていたころ、有名なフライ・オットーの設計になるミュンヘン・オリンピック(1972)のスタジアム(工事中)を見に行ったが、その秋の開催中に「黒い九月」のテロが起きて11人が犠牲となった。これには日本赤軍も絡んでいたが、今のイスラム過激派によるテロの先駆けともいえよう。平和の祭典が悲劇の場となってしまった。

 モスクワ・オリンピック(1980)では、アフガン侵攻に対する批判から、アメリカや日本、その他多くの国がボイコットし、これは文化的な意味でソビエト崩壊につながったと思われる。

 続くロサンゼルス・オリンピック(1984)では、逆にアメリカのグレナダ侵攻に抗議して、多くの東側諸国がボイコットした。さらにアトランタ・オリンピック(1996)では、最終聖火ランナーとして、人種差別と戦ってきたモハメッド・アリが登場し「アメリカ社会との和解」といわれた。

 北京オリンピック(2008)の開会式では、中国文明(特に紙、火薬、印刷術、羅針盤の四大発明)礼賛のショーが華々しく展開された。中国人らしい長期的文化戦略であろう。

 そして今回である。

 つまりオリンピックには、その時代の国際政治におけるクルーシャルな問題が如実に反映されるのだ。

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