金メダル獲得の羽生を支えたスタッフの一人ギスランコーチ(右)(写真・アフロ)

江陵アイスアリーナのキス&クライで羽生結弦(23、ANA)の隣にいたのはブライアン・オーサー・コーチ(55)ではなかった。オーサー・コーチは、羽生に続き演技するハビエル・フェルナンデス(26、スペイン)のリンクサイドについていたため姿を見せず代わりに小太りの白人男性が羽生の隣にいた。
「チーム・ブライアン」のメンバーの一人、ギスラン・ブリアン・コーチ(55)だ。今大会では日本代表チームでコーチ登録されたが、オーサー・コーチが体調不良で来日できなかった昨年11月のNHK杯にもギスラン・コーチが来日していた。羽生が公式練習で右足首の靭帯を損傷することになった大会である。

「チーム・ブライアン」では、振り付け、スケーティング、ジャンプと専門分野に分かれたコーチがいる。ギスラン氏は、ジャンプコーチ。右足首を痛めた羽生にとって、そのジャンプを、いつ再開し、どういう段階を経て、五輪に仕上げて間に合わせるかが、最重要テーマだった。トリプルアクセルは3週間前、4回転ジャンプは2週間から2週間半前に再開したそうだが、その過程を見守ってきたのが、ギスラン・コーチだった。

羽生は、大会前の会見で、「ギスラン・コーチが、ずっと一緒にいてくれました。ギスラン・コーチとともにジャンプのフォームであったり、感覚であったり、そういったものを重点的に練習していました」と、語っていた。

日々のチェックとサポートはギスラン・コーチが行い、大きな方向性をオーサー・コーチが見る。カナダ人のギスランは、「トロント・クリケットクラブ」の所属でバンクーバー五輪の女子スペイン代表だったソニア・ラフエンテ、ソチ五輪のスペイン代表だったハビエル・ラジャらを専属コーチとして教えてきた。

 一方、フェルナンデスには、スケーティングを専門とする女性コーチをつけるなど、オーサー・コーチはメダル争いのライバルを同時に教えるという矛盾をうまくカバーしていた。

 羽生が、オーサー・コーチに指導を仰いだのは2012年。バンクーバー五輪でキム・ヨナ(韓国)を金メダルへと導いたオーサー・コーチの指導を羽生が熱望したためだ。
 だが、ソチ五輪での金メダル獲得以降は、プログラム構成や、試合に出る、出ないなどを巡って、オーサー・コーチの意見に羽生が反対、自我を通すケースもあって、一部メディアには、衝突、決裂などと報じられた。だが、それも、勝利と高みを求めるゆえのポジティブな対立であり、「チーム・ブライアン」の連携と結束が、この羽生の奇跡とも言える、ぶっつけ本番の復活、金メダルをサポートしたことは間違いない。

現在、福岡でチームの中で指導を行っている元全日本2位の中庭健介氏も、個人競技であるフィギュアスケートにおいていかにコーチングスタッフの結束が重要かを力説する。

「私は、内部事情はわかりませんが、チームの結束力がもたらした効果は大きいと思います。オーサー・コーチは、フェルナンデスら複数の選手を見ているので、羽生選手をずっと見てサポートする人が必要になります。ジャンプを担当するギスラン・コーチがその役を担ってフォローしていたのでしょう。野球で言えば、オーサー氏が監督、ギスラン氏がコーチといった関係でしょうか。今回の羽生選手のように怪我によってブランクが長くなると、イメージや感覚と、実際の体の動きにズレが生じます。なかなか、それを自分自身で感じることは難しいのです。そのとき客観的に見るコーチの意見というものが大切で、修正、改善を助けることになります」

この日、涙の理由を聞かれた羽生は、「本当にここまで来るのは大変でした。育てて下さった方々、支えて下さった方々へ、いろんな思いがこみ上げてきました」と、チームスタッフへ感謝の言葉を繰り返した。
羽生は孤高の天才と称されることが多い。悩んだフリーのプログラム構成も、この日の朝に「自分で決めた」とも言う。だが、この金メダルは一人の力ではなく「チーム羽生」の結束の証だったのかもしれない。