入学・入社など新生活がスタートする4月は、桜のイメージとも重なり、日本人にとってひときわ思い入れのある時季です。

 こうした季節感や旬を重視する感性、中でも「初もの」に対する強いこだわりは、日本人特有のものでしょう。時の研究家、織田一朗氏が『「初もの」は「粋な時間」の象徴である』をつづります。


「女房を質に入れてでも……」

錦絵「婦人の図」(セイコーミュージアム)

 日本人にとって「初もの」は格別の意味を持っているが、単に愛(め)でるだけでなく、珍重する趣向は、異常なまでである。

 江戸時代に珍重されていた「初もの」の代表に初鰹がある。「江戸に生まれ 男にうまれ 初松魚(かつお)」(泰里)と詠まれたように、その価値は「女房を質に入れてでも初松魚を味わわないと男が廃る」と、現代女性が聞いたら目を剥かんばかりの例えで表現されていた。

 「初という字をいさみにて、松魚松魚と走り行く」勇み肌の魚売りが江戸の町を駆け抜ける4月の初めに、江戸っ子たちがこよなく愛した初鰹の季節が到来する。「初もの」を食べることが楽しみでもあり、生きがいにまでなる。「ハテ袋物商売や初松魚うる手合いは、金持ちを相手にやァせぬ」(十返舎一九『六弥陀詣』)となる。初鰹は金持ちでなく、貧乏人が気負って買うものだと言っている(佐藤要人・藤原千恵子編『図説・浮世絵に見る江戸の歳時記』河出書房新社)。

 日本は四季の変化に富み、四季折々の産物に恵まれるが、日本人は「初もの」や「旬のもの」を積極的に取り入れることによって、食卓に変化や彩りを添え、栄養のバランスをとってきた。しかし、生活に影響するほどの大枚を払ってでも、「初もの」を買うのが「通」であり、やせ我慢してでも実行するのが、「粋人」なのだ。
 
 市場でも新茶、サクランボ、フグ、新米、新ジャガ、ぶどう、メロンなどが競りに掛けられると、「御祝儀相場」として高い価格で競り落としたり、88,888円の末広がりの価格で商いを成立させたりする。サクランボの一房が2,000円であっても、料亭では今年の「初もの」色として珍重される。同じ味のものが、1週間も経てば半値になるのだが、粋人はそれが待てない。「美味さよりも、他人より先に、一番早く味わう」ことに価値があるのだ。

 考えてみるに、日本料理は素材を生かすことが基本であり、素材の新鮮なことが「美味さ」に直結するからである。対する西洋料理は、ソースによる味付けが重要で、香辛料、トッピングなど、「仕上げ重視」の文化だ。これは何も料理に限られたことではなく、家や家具でも同様だ。

 和風建築は、素材の素晴らしさを尊重し、良い素材のもつ味を生かした建築をモットーとするのに対して、西洋建築は素材を積極的に加工することによって価値を高める。貴重品とは言え、檜の柱1本に何百万円も出し、原木の曲がったままの形を「趣き」と評価し、家の中心に据える神経は、欧米人にはなかなか理解されない。文化の違いである。