同じ障がい者でも、障がいの程度によって、必要な介助・介護は異なる。筆者の場合、介護がないと日常生活は送れない。写真は高校生のころ母校で。

 「お前みたいな軟弱障がい者、ロクな人生送れない」

 就職活動中に言われたこの言葉で、筆者の人生は大きく変わった。

 高校3年生だったころの筆者は、特別支援学校卒業後の就職先を探していた。障がい者の就職活動では、一般的に体験実習を行うことが多い。ここでいう体験実習は、自分の働きたい職場(特例子会社や授産所)を体験するというものだ。

 体験実習はまず、学校の進路担当の先生を経由して、実習先にアポイントメントを取るところから始まる。実習を希望している生徒の障がいの程度や、実習中に配慮して欲しい点などを細かく実習先に伝える。この段階で先方に実習の可否の判断を仰ぐのだが、筆者のような重度障がい者の場合、この時点で「お断り」されるケースも少なくはない。

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 筆者が希望を出した実習先は、主にコンピュータ作業を専門とした授産所だった。親や学校の先生は「こんなに重度の障がいを抱えているんだから、別に働かなくてもいいのでは?」という空気を出していたが、筆者に働かないという選択肢はなかった。

 筆者はむしろ障がい者のために与えられた仕事をするのではなく、健常者と同じ土俵で仕事をしたいと考えた。指先の自由がきく筆者としては、自ずとコンピュータ関連の仕事に就くというのがベストな選択ではないかという結論に至った。

 そして、高校3年の夏休み。梅雨の明けた7月下旬、希望していたコンピュータ関連の体験実習がかない、母の送迎で実習先の授産所に向かっていた。

 5日間の実習は身体的にはハードなものだったが、普段の学校生活と違い、社会人の方と接する機会が多いこともあって、学ぶことは非常に多かった。

 そして、ほかの実習生をみても、筆者より重度の障がいを抱えている人はいなかったので、その分、誰よりも工夫や効率性を重視した。鉛筆でメモが取れなければ録音をすれば良い。レポートだってパソコンで入力すれば良い。

 つまり、体が動かなければ頭を動かすことに勝負をかけた。そのお陰で実習先からの評価も思っていたより上々で、競争率が高いといわれた職場で、異例のスピード内定を勝ち取った。

 しかし、そこで事件が起こった。実習最終日に帰り支度を済ませていたときのことだ。玄関先のロビーで、筆者は偶然、車椅子に乗った60代ぐらいの男性と出会った。

 男性は「お前、ここから一人で帰るんだろうな?」と話しかけてきた。

 筆者は「いえ、親の送迎です」と当たり前のように答えた。

 すると、その男性は呆れた表情で、筆者が、障がい者として、ここに存在することを否定するかのような目をした。

 「ったく。親が甘やかしやがって……。一人で通わせろよ」

 人によってはこれを"言い訳"と呼ぶのかもしれないが、一つ分かっていただきたいのは、障がいというのは千差万別だということだ。その身体状況によって、人それぞれに、できることとできないことが大きく異なる。
 
 確かに、その男性は障がい者という枠組みでは僕と同じかもしれないが、比較的座位の安定はあるし、首だって十分据わっている。それに、両手だって僕より動く。自分ができることは障がい者全員ができて当たり前。まさにそんな言い草だった。

 筆者がここで折れることは簡単だった。ただ、自分が本気で働きたいと思った場所である以上、どうしても自分のような障がい者もいるということを知って欲しかった。それに、これからの時代は障がい者だからといって、自分を追い込まなくてもいいのではないかということも伝わって欲しかった。

 だが、そんな筆者の想いは、最後までその男性に届くことはなかった。そして次の瞬間、僕はその男性に信じられない言葉を浴びせられた。

 「お前みたいな軟弱障がい者、ロクな人生送れない」

 悔しさのあまり何も言い返せなかった。心の中で何かが折れてしまった。

 過去に味わったことのない屈辱が僕を襲い、障がい者として生きてきた18年間の日々が筆者を否定しているような錯覚にさえ陥った。そして、いつまでも親に迷惑をかける息子なんだと自分が無性に腹立たしかった。

 そして、車で迎えに来てくれた母に筆者はこう言った。

 「母さん、僕、ここへは行かない」

 軽度の障がい者が、重度の障がい者を見下している。これでは障がい者と健常者との壁以前に、障がい者同士が共生できないではないか。筆者の起業は、ここから始まる。