4連覇を果たしたリオ五輪での伊調馨(左)とパワハラが問題とされた栄和人・強化本部長(右)(写真:青木紘二/アフロスポーツ)

 女子レスリングで五輪4連覇、国民栄誉賞を受賞した伊調馨に対する、日本レスリング協会の栄和人強化本部長によるパワハラ問題が浮上している。関係者の協力による告発状が内閣府に出され、それに対する反応がないと週刊文春が報じたのをきっかけに世間に知られることとなったが、栄本部長とレスリング協会はパワハラや練習環境の制限を否定している。今回の問題が実に回りくどい方法で明るみに出たのは、公益財団法人日
本レスリング協会内部での問題を解決できる仕組みが機能しづらい状態だからだ。
 ガバナンス機能の欠如と言っていい。
 その歪みがもっともわかりやすい形で露出したのが、五輪日本代表の決定方法だろう。

 女子レスリングだけを対象に日本代表の決定方法を振り返っても、徐々にいびつな形に変形していったことがわかる。初めて女子レスリングが五輪の公式種目になった2004年のアテネ五輪を前に注目を浴びたとき、代表決定戦の過酷さがたびたびクローズアップされていた。初めての五輪代表になる条件は、まず2003年12月の全日本選手権で優勝すること。そして、優勝した選手が2004年2月のジャパンクイーンズカップで続けて優勝すれば代表に決まる。だが敗れた場合は、同じ組み合わせによる第三戦、4月の代表決定プレーオフをおこない、その勝者がアテネ五輪に出られると2003年10月にアナウンスされていた。

 当時の女子レスリングは五輪実施階級が48kg、55kg、63kg、72kgの4階級のみ。そのため、2003年世界選手権では五輪で実施されない51kg級で優勝した伊調千春と59kg級優勝の山本聖子が、それぞれ48kg級と55kg級に階級を変更して2003年12月からアテネ五輪出場を目指した。このとき第三戦まで戦い、アテネ五輪への切符を手にしたのが伊調千春である。

 この時点では、レスリングの代表決定は試合でわかりやすく決めていると感じた人が多いだろう。ところがその後、少しずつわかりづらいものへと変わっていった。

 北京五輪の出場権がかかった2007年世界選手権代表選考は、体育館の改修工事のために1月開催となった全日本選手権から始まった。その大会2日目の27日になって突如、アテネ五輪で金メダルを獲得した55kg級の吉田沙保里と63kg級の伊調馨について、全日本選手権と4月のクイーンズカップに連勝した場合、即、北京五輪の代表に内定する案が協会内で有力となったのだ。該当する大会の計量時に取材記者からこの有力案について質問された55kg級と63kg級の出場選手たちは、「本当ですか?」と呆然とするばかりだった。彼女たちは、この内定案が存在することすら聞かされていなかったのだ。

この案は結局、有力と言われながら採用されなかった。当事者であるアスリートが、あらかじめ選考方法を知らされないという事態は異常だと指摘されたからなのか、気づいたからなのか。廃案になった理由はわからない。

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