北長狭通五丁目にあった光村本邸。海軍の首脳がたびたび宿泊していた(明治39年、海鳴りやまず -神戸近代史の主役たち-第一部、神戸新聞社)

 商売には運がなかった光村弥兵衛がようやく転機が訪れました。横浜港にやってくる外国艦船相手の商売が大成功したのです。光村は当時の経済人としては、めずらしく英語とフランス語を習得していました。このあと順風満帆かと思いきや、再び大きな不運が光村に襲いかかります。横浜から神戸へ。光村激動の時を市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。


     フランスの艦船「セミラメス号」のご用達商人に


  横浜の富商、「芝清」から外国船へ売り込む権利株を手に入れた光村弥兵衛。ここから本格的な奮闘録が始まる。『光村利藻伝』にこんなエピソードが記されている。フランスの軍艦セミラメス号が入港したときのことだ。

 「そのころとしては大きな軍艦だったので、乗組員は1000人を超えた。この軍艦は他の外国船のように日本人が艦内に入ることを許さなかったので、品物の買入れは舷側の上と下でやるのである」

 ところが、売り込み商でフランス語ができる者がいない。弥兵衛もできないが、知人のフランス人宣教師ジラールを訪ね、セミラメス号の艦長ジョーンズ宛に紹介状を書いてもらった。

 

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