会社を立ち上げたものの、ほとんど仕事が来ない状況が続いた。仕事が取れずに困っている時、松元は僕にこう言った。

 「お前が仕事を取って来てくれないと俺、何もできないよ」

 仙拓は僕が松元を誘う形で作った会社だ。仙拓での仕事の割り振りは、筆者が仕事を取ってくる営業で、松元が制作である。松元としては、ウェブ制作や名刺作成といった仕事を僕が取って来なければ、何も動きようがないのだ。

わずかに動く両手親指だけで会社を上場させると意気込む24歳社長。「僕には運があるんです」と話します。

筆者は5年で5000人の人脈を作った。イタリア料理店「LA BETTOLA 」 の落合務シェフもその一人だ

 「会社を立ち上げたら、もう少しみんなが仕事をくれると思っていたんだよね」

 そんな甘いことを言うと、松元はたしなめるように言った。

 「それは甘いだろ。障がい者だからって仕事なんかくれないぜ」

 松元の言うことは正論だった。でも一体、どうしたら仕事が取れるのだろうか。

 この課題が解決できなければ、必然的に仙拓は倒産してしまうだろう。でも、解決手段が見つからない。不安で眠れない夜が続いた。

 重度障がい者が会社を経営するなんて無理だったのか?

 ある日、僕は松元とテレビ電話で打ち合わせをしていた。仕事が取れていないので、あまり良い話になるはずもない。そんな時、こんな考えが、筆者の頭に浮かんだ。

 「障がい者だからって仕事をくれないってことは、逆に考えれば、こんな僕たちに仕事をくれたとすれば、それは障がいの有る無しなんて関係がないってことにならない?」

 それに松元が反応した。

「確かにそうだな。そう考えると、案外ビジネス社会のほうが俺たちにとってバリアフリーなのかもしれないな」

 その言葉で視界が開けた気がした。

 待っているだけで仕事がとれないのは当然のことだ。

 そのことは分かっていたのに、「障がい者」という言葉にこだわって動けずにいたのは自分のほうだった。

 「障がいの有る無しなんて関係がない」。このことを前提として動けば、そしてそのことで仕事が取れて、クライアントが満足してくれれば、それこそ健常者と同じ土俵で戦うことになるのではないか。

 僕は行動に出た。

 ネット社会に自分を売り込んでいった。まずは自分や仙拓という会社を知ってもらうことで、きっと何かが変わると考えた。僕には障がいがあって、自分一人では外出ができない。だが、ネットの中では自由に動き回れるし、誰にでもコンタクトを取ることができる。

 まずは、SNSに日々の活動を毎日アップするようにした。そして、企業家、政治家、出版社を始めとしたマスメディアなど、自分の頭の中で"仙拓にとって必要"だと思う人には、手当たり次第にコンタクトを試みた。いわば飛び込み営業なので、相手にしてもらえないことが圧倒的に多かった。

 なかには名前を知らず、フォロワー数の多さだけで声をかけてみたところ、それが内閣総理大臣夫人や東証一部上場企業のトップだったこともあった。

 筆者は会社を設立してから約5年間で、5000人以上もの人脈を作り、様々な業界から仕事を獲得できるようになった。

 こうして立ち消え寸前だった仙拓は何とか軌道に乗り始めた。

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