AI(人工知能)やビッグデータを使った分析などが普及すると、統計がさらに重要になるという漠然としたイメージがありますが、必ずしもそうとはいえないようです。新しい時代には逆に統計が不要になる可能性も指摘されています。

写真:アフロ

 これまでの時代は物理的な制約条件から、すべてのデータを分析にかけることは現実的に不可能でした。市場調査や経済状況の分析などを行う際には、いくつかのサンプル(標本)を採取し、統計的に全体との整合性が取れていることを確認した上で、これを全体とみなして分析を行っていました。

 テレビの視聴率調査や販売数量の調査、消費者物価指数など、世の中で使われている調査や指標のほとんどが、こうした手法で成り立っています。

 サンプルを使って一定の法則を導き出し(帰納法)、そして、その法則が一般的なものであると仮定して、他の分野や全体に応用する(演繹)という流れで、物事が動いていました。

 ところがAI化が進むと、得られたデータをそのままコンピュータに放り込み、その中から何らかの特徴をAIに考えさせるということが可能となります。

 例えば、店舗内のどの位置に店員が立つと売上高が増えるのかという分析をさせると、なぜその位置にいると売上高が増えるのか、理屈の上では説明できないような答をAIが返してくることがあります。しかし結果が出ている以上、理由は分からなくてもAIを使った方が合理的という判断にならざるを得ません。

 こうした事例が増えてくると、統計学を使った分析があまり意味をなさなくなってしまいます。著名な経済学者である野口悠紀雄氏もビッグデータの時代にはかえって統計学が不要になる可能性について指摘しています。

 先日、NHKの番組で仕事の効率についてAIに分析させたところ、1日11時間54分以上働くのがもっとも良いというトンデモ結論を出して炎上するという出来事がありました。

 この話は、人間の仕事に対する没頭度をAIが判定し、没頭度が高いと効率も高いという仮定に基づいて出した結論ですから、今回取り上げた話とは異なります。

 しかし統計を使った分析や、それをもとにした従来型モデルからは想像もつかない結論をAIが出し、それが多くの人にとって受け入れがたい内容だった場合、わたしたちはどう振る舞えばよいのでしょうか。AIが社会に完全に定着していた場合、「こんなAIは捨ててしまえ」という話で片付けるわけにはいかなさそうです。

(The Capital Tribune Japan)

この記事が気に入ったら「いいね!」をお願いします