穐吉敏子(朝日新聞社 - 『アサヒグラフ』 1955年7月20日号より)

 少し日本のジャズの歴史を紐解いてみたいと思います。日本にジャズが普及したのは、第2次世界大戦後になりますが、どのようなミュージシャンが活躍し、どのように発展していったのでしょうか? ジャズ評論家の青木和富さんが解説します。

【連載】青木和富の「今夜はJAZZになれ!」

日本のモダン・ジャズの歴史を語るために欠かせないミュージシャンたち

 日本のモダン・ジャズの歴史は、穐吉敏子から始まったと言っても過言ではない。もう一人伝説的なピアニスト、守安祥太郎がいるが、1955年に31歳で山手線目黒駅で飛び込み自殺し、残された演奏記録は、死後20年たった1970年代に発掘された1954年のライブ録音『幻のモカンボ・セッション’54』しか今に残されていない。

 ちなみにこの横浜伊勢佐木町のクラブでの演奏会は、ハナ肇とクレイジー・キャッツの植木等らが奔走して実現したもので、後に日本中を笑いの渦に巻くこのグループは、当初、最先端のジャズを目指すミュージシャン集団だった。彼らの実力は、TVや映画で有名になった1960年代でも、ジャズ誌の人気投票で高位にランクされ続けるほど認められていた。

 少し年代をさかのぼる。日本にジャズが普及したのは、第2次大戦後に占領軍がやってきたころから始まるとよく言われるが、その時代のジャズとは、当時の最先端のビ・バップではなかった。駐留軍が広めたのは大まかにいってアメリカの音楽文化で、スイング・ジャズをはじめ、スタンダード・ソングを中心としたポップ・ソングの世界である。それと共に流行したのがダンス文化で、全国でダンス・ホールが繁盛した。こうした駐留軍によるアメリカ文化の普及は、ヨーロッパも同じだった。ヨーロッパの戦後派のジャズ・ミュージシャンも米軍キャンプがジャズの勉強の場だったと言っている。

 モダン・ジャズの発祥は、チャーリー・パーカーらの高度な音楽性をもったビ・バップ・ジャズにあるが、これはそうした戦後に広範囲に広まったジャズ文化にとっては、難解なアヴァンギャルド、前衛ジャズと言ってよかった。そうした演奏をやると、客が不満をもらし、オーナーから契約を打ち切られるということがあった。それどころか、ミュージシャンも、この最新のジャズが、どういう音楽的な仕組みになっているのか、皆目分からない状態と言ってもよかった。

 今ではジャズ演奏の入門書のようなものがたくさんあるが、当時はまるで闇の中を手探りで進むような世界である。守安祥太郎が伝説的な天才と呼ばれるのは、そうした時代にまるで同時代のチャーリー・パーカーと同じビ・バップ演奏を見事にやってのけたからである。しかし、そうした守安を理解し、支持し、夢中になったファンはほとんどいなかった。それが自死の大きな要因と言われている。

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