マリナーズに復帰したイチローが置かれた立場は厳しいままだ(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 イチローが背走する。一度だけフェンスとの距離を確認した。打球に向き直ると、走りながら絶妙のタイミングでジャンプ。そのときグローブはフェンスの向こう側。衝突の衝撃で、グローブごと持っていかれる可能性もあったが、それを許すイチローではなかった。

 そのままフィールドに倒れこむも、ゆっくりと立ち上がり、グローブからボールを取り出した瞬間、固唾を呑んで見守っていたファンが、一斉に吠える。そのとき、球場の空気が一つになった。

 3月29日(日本時間30日)、イチローの2018年が開幕ーー。

 契約が3月7日までずれ込んだ上、右ふくらはぎの張り、死球などで、出遅れた分を取り戻す事は出来なかった。さすがにイチローも、開幕ロースターから外れることを覚悟した。

「このセーフコ・フィールドに立つことが大きな目標でしたから、途中からは」

 結局、開幕を急場凌ぎで迎えた感は否めず、その開幕戦では2打数無安打に終わり、ふくらはぎの影響を考慮されて、八回の守備から退いた。チームも調整が十分ではないことを否定しない。

「理想を言えば」とスコット・サーバイス監督。「あと1週間ぐらいは、時間を与えたかった」。

 しかし、休みを挟んで迎えた31日のインディアンスとの第2戦ーー。

 三回に守備で魅せると、その裏、オープン戦も含めて、今季初安打を記録。七回には、メジャー屈指のセットアッパーで左のアンドリュー・ミラーからレフト前ヒットを放ち、メジャー通算907回目のマルチ。圧倒的な存在感を示した。かつて、そうだったように。

 と同時に今後が、実に興味深くなった。

 話は変わるが、元慶應義塾大学医学部准教授で、病理学者でもある向井万起男先生が、奥様の千秋さんが宇宙飛行士になるまで、そして、実際にスペースシャトルに搭乗するまでの経緯を綴った「君について行こう」という本の中で、こんな奥様の言葉を紹介している。

「マキオちゃんに私の底力を見せてあげるから、よく見ていてね」

 最終訓練、そしていよいよ搭乗というときの一言だったと記憶しているが、その後、何度か向井先生と食事をご一緒させていただいたときにそのことをうかがうと、「たいした女房でしょ、ホント」と豪快に笑っておられた。

 人は極限とどう向き合うか。あるいはそこで、どんな力を発揮するのか。

 状況は異なれど、今、イチローが置かれている立場は、どこか通じるものがある。