前列左から、民造、逸平、民造夫人の幾久子、後列左から、嗣子謹之助、その夫人春子 。『若尾逸平』内藤文治著(大空社刊)

 生糸などの商いで一代で財を成した若尾逸平が、次に狙いをつけたのが株式市場でした。「車と灯り」の銘柄を中心に買い占めを行いました。とくに後から鉄道業界への参入を図るべく行われた東京馬車鉄道(馬鉄)の買占めはすさまじい一大決戦とも称されました。93歳まで長生きした、一代で財を築いた若尾の第二の最盛期から晩年を市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。


  明治時代を代表する大記者、朝比奈知泉が語る、若尾逸平

 明治時代を代表する大記者、朝比奈知泉は郵便報知や東京日日新聞で健筆をふるったが、若尾逸平について思い出を書いている。

 「逸平翁は九十の令を重ねて先年没したが、甲州出身のにわか分限で、気骨稜にたる老爺であった。逸平翁は人のうわさをするに、よく困窮人という言葉を使う人で、たとえば同じ甲州人雨宮敬次郎の話が出ると、雨敬ですか、『彼は困窮人でげして』と、まず一語喝破して、それから雨宮が横浜に出て来て、女房を質に置かぬばかりの窮状を語る。根津嘉一郎の如きは、相当な資産家に生まれたのだから、翁の喝破を免れたかも知らぬが、今日のありさまに対しては、若尾翁は困窮人呼ばわりを食ったかも分からない」(『老記者の思い出』)

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