日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面し、同じモンゴル民族でつくるモンゴル国が独立国家であるのに対し、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれ、近年目覚しい経済発展を遂げています。しかし、その一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土が失われてきているといいます。

 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのか。

 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。

【写真特集】故郷内モンゴル消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第10回

冬休みに両親を手伝って牛の糞を集め、二輪車で運ぶ。気温はマイナス20度=シリンゴル盟・アバガ・ホショー(2014年1月撮影)

 私は、シリンホト市内の小学校に入るまで田舎で育った。一人っ子政策前の70年代後半生まれなので、周りには同年代の子供が大勢いた。特に私の故郷のチャハール地方では大体、4~7家族が、遊牧共同体である一つのホトアイル(村)を構成していたので、同年代の子供は兄弟を入れて10人以上も暮らしていた。

 あの頃は子供が多かったことと、貧しい時代で物資が少なかったため、子供たちは甘えることはなかった。両親は一所懸命に仕事をしていて忙しかったので、子供たちは互いに面倒をみていた。お腹が空いたら、乾燥させたチーズをかじり、ミルクを飲む。遊ぶおもちゃはほとんどなかった。

 ただ、おもちゃはなかったが、茶碗や瓶のかけらを集めて遊んでいた。日本でいうごっこ遊びだ。その際、羊やラクダの糞を集め、お菓子に見立てて使っていた。確かに、ラクダの糞と同じ形のお菓子が今でもある。

一人で遊ぶ男の子。カメラを向けた瞬間、恥ずかしくなり顔を隠す=リンゴル盟・バロンウジュムチン・ホショー(2012年8月撮影)

 そして男の子は、馬の代わりに柳の枝にまたがって走り回っていた。当時は子供が多かったので喧嘩もあり、泣いたりもした。でもすぐに仲直りして、いつまでも一緒に遊んでいた。

 あの時代の子供は、早くに物事を理解するようになり、親の手伝いをしていた。私も学校に入る前から、朝四時過ぎに起こされ、乳搾りするために仔牛の世話をしていた。よく仔牛に足を踏まれ、泣いたことを今でも覚えている。

 羊の番をしたり、火を起こすために枯れた柳の枝を集めたり、朝一で、その日に乗る馬をつかまえてきたり、などと大人に言われたことはなんでもやっていた。日がな一日、家畜と遊ぶことも楽しかった。(つづく)

※この記事はTHE PAGEの写真家・アラタンホヤガさんの「【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第10回」の一部を抜粋しました。

内モンゴル自治区の地図


アラタンホヤガ(ALATENGHUYIGA)
1977年 内モンゴル生まれ
2001年 来日
2013年 日本写真芸術専門学校卒業
国内では『草原に生きるー内モンゴル・遊牧民の今日』、『遊牧民の肖像』と題した個展や写真雑誌で活動。中国少数民族写真家受賞作品展など中国でも作品を発表している。
主な受賞:2013年度三木淳賞奨励賞、同フォトプレミオ入賞、2015年第1回中国少数民族写真家賞入賞、2017年第2回中国少数民族写真家賞入賞など。