現在の朝日新聞は、1879年1月に大阪で創刊し、9年後の1888年7月に東京で「東京朝日新聞」を創刊した。明治時代の歌人石川啄木が、東京朝日新聞の校正係として働いていたことは、割と知られた話だろう。

校正者は役目を終えたのか(2)増えるフリーランス、減る社員

石川啄木の後輩たち

A2判の新聞ゲラに赤ペンを走らせる

 東京都中央区築地にある東京本社の校閲センターでは、校閲記者が机に向かい、新聞の1ページ(面)を印刷したA2判のゲラに赤ペンを走らせていた。啄木の後輩たちだ。

 朝日新聞では、1つの面の校閲を1人の校閲記者が担当する。この担当者を「面担(めんたん)」と呼ぶ。面担は、1面分の紙を出力すると、まずざっとひと通り読んで、句読点の抜けや誤字脱字などの訂正を行う。その後、固有名詞や数字などのデータや事実関係が正しいかどうかを、過去の記事のデータベースやインターネット上の各種サイト、取材記者が参考にした企業の広報資料などで調べる。

 「企業の広報資料に頼りすぎると、記者だけではなく校閲も間違う可能性があるので、別の資料を探すなど、違う角度からも調べるよう心掛けている」。こう話すのは、東京本社の東(あずま)浩一・校閲センター長(57)だ。1984年に校閲部門で採用されて以来、倉敷支局の取材記者だった約2年を除き、校閲部門でキャリアを重ねてきた。

持ち上がった「校閲不要論」

朝日新聞東京本社の東浩一・校閲センター長

 取材記者がパソコンのキーボードを叩き、インターネットを通じて原稿を本社に送る。21世紀に入ったいまの新聞制作の現場では、デジタルが当たり前。しかし、デジタル化の前は、記者が書いた原稿どおりに、熟練の植字工が活字を一文字一文字拾う、あるいはキーパンチャーが文字を入力するといった方法で、印刷するための版を作った。その際に、植字工やキーパンチャーが文字を間違えることは珍しくなかった。

 校正という仕事の元来の必要性はここにある。つまり、記者が書いた原稿が、原稿どおりに紙面に反映されているかをチェックすることだ。しかし、デジタル時代にあって、記者がパソコンやワープロで書いた原稿がそのまま紙面に反映されるのであれば、元の原稿と紙面を突き合わせる校正の作業は必要ないのではないか?

 東センター長が入社した翌年の1985年から、同社は記者用のワープロの導入を開始。1990年前後には社内で「校閲不要論」が持ち上がったという。「ワープロが導入されれば、版を作るときの文字の間違いはなくなる。だから校閲は不要」というのが不要論者の主張だった。

 結局、同社の校閲部門はなくならずに今日に至る。東センター長によると「これまでは校正作業が中心だった校閲部門が、ワープロの導入により校正の仕事の負担が減った分、データの精査や事実関係の確認といった校閲本来の仕事に力を入れられる部署に変わっていった」のだと説明する。

 校正・校閲という作業も、時代とともに変化する。「紙は大事だが、それだけをやっていれば良い時代ではない」。東センター長は、そう力をこめる。