撮影:高橋邦典

 昨年半ばに思うことあって、報道写真の世界から退くことになった。5年近くに渡って続けさせていただいたこの写真エッセイも、今回が最後。25年のキャリアの中、様々な国に足を運び、多くの人々と出会ってきた。最終回は、特に印象に残る経験をいくつか紹介したい。

フォト・ジャーナル <宮城の被災地はいま>- 高橋邦典 第29回

撮影:高橋邦典

 すべてが崩壊し、瓦礫と化した石巻に足を踏み入れたとき、僕は言葉を失った。北上し、女川、南三陸、気仙沼そして陸前高田と、訪れた町々もみな同じ惨状だった。戦場というものは知っているつもりだったが、ここまで完璧に、そして大規模に町が破壊し尽くされた光景など見たことがなかった。これが「平和な」日本、それも僕の故郷の東北で起こったという現実が信じられなかった。

 瓦礫の上や避難所で、住処のみならず、愛する家族を亡くした人々に出会い、話を聞かせてもらった。そんな彼らから、何度もこんな言葉を聞いた。

 「もっと大変な人たちがいるのだから……」

 絶望的な状況にありながら、まだ他人のことに気をまわすその姿勢に、僕は驚かされた。他国ではまず耳にすることのない言葉だ。こう思うことで、折れてしまいそうな心を自ら支えていたのだろうか。他者への思いやりを忘れぬことによって、彼らは人間としての尊厳を保ち続けたのかもしれない。
早いもので震災からもうすぐ7年。

 復興は徐々に進んできたが、現実は厳しい。瓦礫の上で出会った被災者の人々を、僕はその後も訪れてきたが、震災から4年後に再会した南三陸の若者の言葉が胸に刺さった。

 「津波によって壊されたものっつのは、建て直しきくんですよね。工事して人が手かけて時間かければなんとかなるんですけど、人が壊したものって多分戻らないんですよ」

 彼は、津波でほぼ壊滅した彼の村を元に戻そうと努力を続けてきた。しかし、震災直後には一丸となっていた村人達の気持ちが、年月が経つにつれバラバラになってしまった。いさかいも起こるようになり、お互いの心は離れていった。

 町が変われど、似たような話は多く聞いた。散りじりになった人々が、それぞれの場所で暮らしを確立することで、震災前のコミュニティーは消滅したのだ。

 瓦礫がなくなり、土地が整備され、家が建つようになっても、町のかたち、そして人の心が、元に戻ることはないのかも知れない。

 ※この記事は「フォトジャーナル<カメラマン人生25年を振り返って>- 高橋邦典 最終回」の一部を抜粋したものです。

この記事が気に入ったら「いいね!」をお願いします