[写真]2009年2月にテヘランで行われた「イラン革命」30周年記念式典(ロイター/アフロ)

 アメリカのトランプ政権は5月12日、イランとの核合意を一方的に破棄しました。2015年に結ばれたこの合意は、イランの核開発を制限するとともに、同国への経済制裁の解除を約束したものでした。

 トランプ政権は「イランが約束を破った」と主張していますが、具体的な証拠は示していません。これも手伝って、核合意の破棄はイランだけでなく、合意を結んだ他の各国からも批判されています。それにもかかわらず、トランプ政権が合意を破棄したことは、米国とイランの根深い対立を背景とします。アメリカはなぜイランを敵視するのでしょうか。(国際政治学者・六辻彰二)

【写真】核・ミサイル開発続ける北朝鮮 中国が制裁に及び腰なのはなぜか?

イギリスから引き継いだアメリカ

[年表]イランと米英をめぐる主なできごと

 かつて米国は、イランとむしろ良好な関係にありました。それは19世紀にイランで影響力を伸ばしていたイギリスの立場を引き継ぐものでした。

 19世紀の帝国主義の時代、中央アジアから中東にかけてはイギリスとロシアが勢力を競う土地でした。その結果、ガージャール朝イランもそれぞれと不平等条約を結ばざるを得ず、1908年にはイランで初めての油田生産が、イギリスのアングロ・ペルシアン石油会社によって開始されていました。

 その後、1925年に成立したパフラヴィー朝のもと、イランは共産主義のソ連への警戒感を強め、イギリスとの関係に基づいて軍事・経済の両面で近代化を推進。それに伴いイランでは、ナショナリズムが強調されるようになりました。イスラム圏で一般的なヒジュラ太陰暦が廃止されて太陽暦が導入されたことや、ヨーロッパの呼び方だった「ペルシャ」を「イラン」に改めることが各国に要請されたことは、イスラム世界の一部という伝統的な観念より、近代的な国家としてのイランの一体性や独立を重視する姿勢を示します。

 ところが第二次世界大戦後、イギリスが勢力を衰退させるのと並行してソ連がイランへの影響力を強めました。それにつれてイランでは外交的な独立を目指す要求が高まり、1951年には反英的なモサデク首相が就任。石油収入のほとんどを握っていた外資の国有化を主張するようになりました。

 これに対して、1953年にクーデターが発生し、モサデク首相は失脚。このクーデターを支援していたのが、米国のCIA(中央情報局)でした。ソ連がこの地に勢力を伸ばすことに警戒感を募らせた米国はイギリスからバトンを引き継ぎ、イランを自らの引力圏にとどめようとしたのです。これ以降、米国は軍事、経済の両面でイランとの関係を深めていきました。