錦織の全仏初戦相手は304位。復活へ好スタートを切れるのか(写真・アフロ)

 夢は、全仏オープン優勝――。

 少年時代の彼は、赤土の上でトロフィーを掲げる自分の姿を、未来のキャンパスに思い描いた。その無垢な想いの原点には、まだアメリカにテニス留学する前に、欧州の赤土で勝ちまくった興奮の記憶がある。14歳の時に参戦したジュニアデビスカップで、スペインの年長選手を破り大きな自信をつかみとったのも、赤土の上だった。パリを訪れた際、警備員の目を盗んでローランギャロスのセンターコートに忍び込み、その景観に胸を高鳴らせたこともある。錦織圭が世界へと飛翔したその旅の始まりには、赤土に刻んだ足跡があった。

 ところが17歳でプロに転向し数年経った頃から、錦織はクレーへの苦手意識を口にするようになる。ジュニア時代は、ドロップショットやロブなどの多彩な技が赤土で映えた。だが強いフィジカルを有し、クレーでの戦法を熟知するスペシャリストの集うプロの世界では、重い土のコートは勝つのが困難な場へと変貌した。

「どうやってプレーすれば良いのか分からない」

 いつからかそう口にするまでの苦手意識を、赤土に対し抱くようになっていた。

 その錦織に、再びクレーで勝つ喜びを与えてくれたのは、現コーチのマイケル・チャンである。2014年にコーチに就任した元全仏チャンピオンは、バウンド後に球速が落ちボールが跳ねる赤土の特性を、むしろ早いタイミングで攻める好機だととらえ、その発想の転換を錦織の心身に埋め込んだ。同年5月、錦織はクレーコートで10連勝し、1年近く跳ね返され続けてきたトップ10の壁をついに打ち破る。以降、錦織のクレーコートでの勝率は、他のサーフェスよりも高い7割超えを記録している。

 昨年8月に右手首の腱を脱臼した錦織は、今年1月下旬の復帰以降も、ボールを捕らえる感覚が戻りきらぬ苦しい時期を過ごしていた。その失われていた、微細ながら重大な感覚を、一気に取り戻したのが4月のモンテカルロ・マスターズ。ラリーが続くクレーコートで上位勢と打ち合うなかで、ボールへの距離感やタイミングをつかみ「自信もついてきた」。

 歯車が噛み合い始めた錦織の疾走は勝利を燃料として加速し、2人のトップ5選手を破って決勝の舞台にまで至る。さらには先週のローマ・マスターズでも、錦織は4位のグリゴール・ディミトロフを含む3人の実力者を破り、準々決勝ではノバク・ジョコビッチと3時間に迫る熱戦を繰り広げた。

「もう全くできないですね、ケガを言い訳には。気持ち的には、感覚だったり色んなものは全て戻ってきているので」

 ローマでの錦織は、ことさら色めき立つでもなく、淡々と“復帰過程”は終わったことを宣言した。
 
 今回の全仏オープンで第19シードの錦織は、初戦で地元フランスのマキシム・ジャンビエと対戦する。ジャンビエは304位の大会推薦出場選手。ジュニア時代も含め目立った戦績はなく、地元フランスの専門記者たちですら「圭の相手にはならないだろう」と声を揃えた。

 もちろんその先では、3回戦で自分より上位の選手(第12シードのサム・クエリー)と当たる可能性が高いなど、いつもより急勾配の山道を登らなくてはならないのは間違いない。だがそのような状況にも、今の錦織はむしろ「チャレンジャーの気持ち」で楽しみながら挑めているという。

 錦織がこれまで踏破してきたキャリアのターニングポイントには、いつも赤土があった。 

 ケガを乗り越え、かつて居た場所……そしてその先を目指す彼がローランギャロスに刻む足跡は、少年時代に見た夢へと、また続いていくはずだ。

 (文責・内田暁/スポーツライター)