アルキャスト外観

 戦後、日本の建築は丹下健三らによるモダニズムが主流となりました。しかし、そうした潮流には意識を向けず、「洋風・和風・モダン」それぞれの風土に根付いた建物を手がけてきたのが村野藤吾(1891〜1984)です。

 建築家であり、多数の建築と文学に関する著書でも知られる名古屋工業大学名誉教授、若山滋さんが、村野が設計した旧千代田生命ビル(目黒区役所が入る目黒区総合庁舎)を取り上げます。


洋風・和風・モダン

 設計者の村野藤吾(1891〜1984)は、日本の建築家として外せない存在である。

 戦後の建築家はほとんどがモダニストであったのに対して、村野は「洋風・和風・モダン」という三つの様式を、それぞれ魂を込めて設計した、というのがもっとも分かりやすい説明だと思われる。

 洋風といっても、かつての歴史様式にのっとっているわけではないので、厳密には「装飾否定以前のモダニズム」という方が正しいのかもしれないが、洋風とする方が一般に理解されやすいし、村野自身も、洋風とかモダニズムという意識はなく、石積み、煉瓦積み、銅板屋根を、単に西洋の風土に根づいた構法でエキゾティックな好みとして扱っているように感じられる。

 和風に対しても、特にそれを近代化するという意識はなく、日本の風土に育った素朴な空間に芽生えた「侘び」という美意識を徹底して追求する。村野を表現主義とする人もいるが、どうだろうか。モダニズム建築がさまざま前衛運動(主義)として進んできたことはたしかであるが、村野は、イズムとか、主義とか、そういった潮流に意識の向かわない人であった。

事務所から区役所へ

階段まわり

 学生時代、村野藤吾の新しい作品が完成したというので、建築学科の友人たちと連れ立って観に行った。

 中目黒の千代田生命ビルである。

 実に優美な建築であった。全体の空間に包容力があり、ディテールの収まりに微妙な曲線が使われ、丹下健三のダイナミックで力強い建築に慣れていた眼には、こういう現代建築もあるのだという印象。保険の事務仕事に疲れた女子社員の心身を癒す空間としての優美さが求められたのだろう。生命保険会社が、村野に設計を依頼するだけのセンスと力をもっていたのだ。

 今は目黒区役所になっている。

 筆者はある市役所の設計をしたことがある。建築の種類としては、ほとんどの部分が事務所であるが、住民票その他の証明書の交付部門や議会部門などがあって特別扱いされ、設計者はそれぞれの部局の意見を入れて設計を進めていた。つまり民間のオフィスビルを市役所や区役所に転用するのは、それなりに合理的な判断と覚悟が必要であり、目黒区のリーダーにその英断があったということである。おかげで名建築が活かされて残るのは、建築界としても日本文化としても歓迎だ。目黒区の人は自慢していい。