大正初期の米穀取引所『米商秘暦大鑑』柄沢照寛編

 片野重久は秋田藩出身者の中では、株式や米穀取引で大もうけをして、実業家として大成功を収めました。結果、株式相場で鈴木久五郎(通称鈴久)と張り合えるほどの実力を付けていきました。日露戦争バブルの折の大敗で自死に至りますが、その理由についてさまざまな憶測がささやかれていました。秋田の希望の星として輝きを放った片野の投資家人生を市場経済研究所の鍋島高明さんが振り返ります。


  秋田藩出身の希望の星、株式や米穀取引で才覚発揮 「片野重久を忘れるな」

 片野重久の人物、業績に精しい石田朗元東京穀物商品取引所理事長は「片野重久を忘れるな」と題する文章を書いているが、秋田藩出身の出来物として周りから強い期待を寄せられていたようである。

 「秋田藩は著名な勤王国学者平田篤胤の出身地であり、東北各藩の中では数少ない勤王藩として、いち早く官軍に味方したにもかかわらず、その勤王論は藩の枠を容易に脱し得ないで、廃藩置県が進む明治新政府との間には意識の疎隔を来たし、中央政府から甚だしい冷遇を受けた。士族の授産や金禄公債の活用などについてもきわめて不利な立場を余儀なくされた。こうした中で片野は父の代から江戸在勤だったからであろうか、早くから東京の実業界の水に馴染み……」

【連載】投資家の美学