日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面し、同じモンゴル民族でつくるモンゴル国が独立国家であるのに対し、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれ、近年目覚しい経済発展を遂げています。しかし、その一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土が失われてきているといいます。

 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのか。

 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。

【写真特集】故郷内モンゴル消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第11回

牧草地から戻ってくるラクダ=シリンゴル盟・スニド・バロン・ホショー(2013年1月撮影)

 遊牧民の彼らはウヘル(牛)、モリ(馬)、テメィ(ラクダ)、ホェニ(羊)とイマーガ(ヤギ)の5種類の家畜と共に生きる。これらをモンゴルでは「タボン・ホショー・マル」と言う。日本語に訳すと「5種の家畜」という意味だ。

 「5つの家畜」の中で、急激に減少してきているのがラクダだ。理由は明白だ。ラクダは、今では役割が少なくなり、経済的利益も低いのだ。

 かつてラクダは、運搬用によく使われた。有名なシルクロードのキャラバンは、ほとんどがラクダによるものだ。現体制の中国になるまで、モンゴル高原では毎年、ラクダのキャラバンが組まれ、遠くチベットや北京まで出かけて、仏教の交流や貿易活動を行ってきた。

 中でも有名なのは、「ダブソン・ジーン」だった。ダブソンとは塩、ジーンはキャラバンを意味する。はるか遠くの塩水湖から、塩を運搬するキャラバンのことをそう呼んでいた。
   
 また、寒さが厳しいモンゴル高原では、夏は馬、冬はラクダと、乗り物の家畜をある程度使い分けていた。特に大雪で草原が閉ざされた場合は、ラクダそりが珍重されてきた。

 だが、中国政府による牧草地の分配や鉄条網を用いた草原の分断によって、広範囲で自由に動く習性をもつラクダが生息可能な牧草地は狭められてしまった。そして、車やバイクが普及し、移動手段としての役割もなくなって、その数は一気に減少した。(つづく)

※この記事はTHE PAGEの写真家・アラタンホヤガさんの「【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第11回」の一部を抜粋しました。

内モンゴル自治区の地図

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アラタンホヤガ(ALATENGHUYIGA)
1977年 内モンゴル生まれ
2001年 来日
2013年 日本写真芸術専門学校卒業
国内では『草原に生きるー内モンゴル・遊牧民の今日』、『遊牧民の肖像』と題した個展や写真雑誌で活動。中国少数民族写真家受賞作品展など中国でも作品を発表している。
主な受賞:2013年度三木淳賞奨励賞、同フォトプレミオ入賞、2015年第1回中国少数民族写真家賞入賞、2017年第2回中国少数民族写真家賞入賞など。