人口が減少し、社会の成長が見込めない時代といわれます。一方で、科学技術の進化が、高齢化の進む日本の未来を、だれにとっても暮らしやすい社会に変えるのではないかともいわれています。わたしたちは一体どんな社会の実現を望んでいるのでしょうか。

 幸福学、ポジティブ心理学、心の哲学、倫理学、科学技術、教育学、イノベーションといった多様な視点から人間を捉えてきた慶応義塾大学教授の前野隆司さんが、現代の諸問題と関連付けながら人間の未来について論じる本連載。閉塞の時代といわれる現代に必要な思考とはどのようなものなのか ── 。15回目は、前野さんが四つの思考法(要素還元思考、システム思考、ポストシステム思考、システム思想)について事例を挙げながら紹介します。


[イメージ]四つの思考法(要素還元思考、システム思考、ポストシステム思考、システム思想)ではどのようにものことをみるのでしょうか(ペイレスイメージズ/アフロ)

 前回から次回まで(連載14~16回)は、2010年に出した『思考脳力のつくり方 ── 仕事と人生を革新する四つの思考法 』(角川ワンテーマ21(新書)、2010年4月)について述べています。

 この本は、2008年に、新しくできたシステムデザイン・マネジメント研究科(SDM)に移って、そこでヒューマンシステムデザイン研究室(別名:前野研究室、略称:ヒューマンラボ)を始めた頃に、SDMやヒューマンラボの基本的な考え方を私なりにまとめた本です。四つの思考法とは、要素還元思考、システム思考、ポストシステム思考、システム思想。

 今回は、第5章の事例のところに載せきれなかった例を5つ述べます。前回の説明とあわせて(あるいは『思考脳力のつくり方―仕事と人生を革新する四つの思考法 』とあわせて)お読みいただければ幸いです。

モンスターペアレントの思考パターン

【第5章 思考を整理する

(例11)子供のいじめの問題

●要素還元思考

神経質な子供と対照的に、性格の悪い子、いわゆるいじめっ子の場合も要素還元論的だ。小学校時代、いじめっ子というのはどのクラスにもいたものだ。自分勝手で手に負えない。

神経質な子は、(私もそうだったが)人の目が気になって授業中に手を上げられなかったりするが、これは人の目を意識している分、多視点からのシステム思考の片鱗だということもできる。これに対し、いじめっ子は自分の視点が極めて強いからたちが悪い。要するに、他人の視点に立てない。

そのまま育ってしまったわがままな大人も要素還元思考系だ。堅気の世界でないところにいる大人たちは、仲間に対しては優しくシステム思考的だが、敵の考えは徹底的に無視する。法律という視点さえも無視する場合もある。

大人になる際に彼らがシステム思考に移行する機会を奪ってしまう社会のあり方にも問題があるというべきだろう。さて、どちらかといえばいじめられる側だった子供の頃の私も、いじめっ子は嫌いだった。今思えばこれも要素還元思考だ。

●システム思考

いじめに対するPTA(保護者たち)の態度も要素還元論的な場合が少なくない。悪ガキをなんとかしろ、先生が悪い、と学校に敵対し、自分の子供を守る立場に徹する。モンスターペアレントもこのパターンだ。外に対し、ネガティブなあり方。いじめに敵対するやり方。

これに対し、システム思考的な親のあり方とは、学校の立場、いじめられた子の立場、そして悪ガキになってしまった子供の立場を、過去にさかのぼって多視点から分析し、皆で話し合って、対処する方法を創造的に見つけるようなやり方だ。

親が協力して登下校を見守るとか、しっかりと家庭での教育を行なうとか、いじめっ子やいじめられっ子のメンタルケアをするとか、様々な解の可能性を吟味して、ポジティブに皆の幸せを目指す。皆が幸せなほうが自分たちも幸せになれるという合理的な判断だ。

実際、アメリカの裕福な地域のPTAは、連携してすばらしい効果をあげている。そんな理想はこのすさんだ日本では無理だとしたら、システムの時空間レベルと抽象度をさらに上げて、日本の教育はどうすべきかをもっと真剣に話し合わなければならない。

●ポスト・システム思考

そもそもいじめは本当に悪いことなのだろうか。もちろん、被害者が肉体的・精神的なダメージを受けるレベルまで行ってしまうと問題だが、もっと小さないじめまですべて刈り取ってしまうべきかというと、それにはデメリットもある。

子供の脳は未熟だ。先ほども述べたように、人の立場にたって価値判断するシステム思考が苦手だ。だから、いじめたり、いじめられたり、しかられたり、悩んだり、傷ついたりする中で、経験を元に学習し、自分はこんなことをしてはいけない、こんなことをすると人は傷つく、といったことを学ぶ面もあるのだ。人生の失敗も挫折も必ず成長の糧になっていて、将来どこかで役に立つ。

したがって、いじめは一概に悪いとは言い切れない面もある。もっというと、社会適応を促しているという面もある。いじめられやすい子供は、自分にとっていじめられない社会とは何か、いじめっ子は、そのような自分を生かせる世界はどこかを模索している面もある。

つまり、いじめを通して、子供たちが性格や特徴に応じた進路を見つけていくという重大な側面を否定できない。善悪という二項対立ではなく、全体の満足化が必要なのだ。

●システム思想

動物の世界は弱肉強食。自然の摂理にしたがってなるようになっているに過ぎない。人間もちっぽけな動物に過ぎない。社会がいじめをやめさせようとしても、実は成長や社会適応の機会を奪い、別の形で社会のひずみを生みだしている面もある。しかも、不確定性が大きく、アクションの効果は読めない。

要するに、最適解だけでなく、満足解すらないともいえる。泣いても笑ってもそれが人生。どんなに工夫しようとも、努力しようとも、宇宙の長い歴史から見ると人間もはかない存在に過ぎない。他の動物よりも多少多様な判断を繰り返しているだけだ。

無常だが、それが世界だ。見方を変えれば、いじめられっ子も一日中いじめられているわけではない。それ以外の時間は、絶対平和が訪れていたっていいはずだ。そうなっていないのは、いじめの問題に心がとらわれているからだということもできる。

酷なようだが、事実を受け入れるシステム思想も必要だ。もちろん、このような問題は、システム思想のレベルではなく、もっと前の段階で解決することが望ましい。前の段階で、何らかの形で解決されるからこそ、絶対平和が訪れるのだから。