決死を覚悟で臨んだ取材に拍子抜け

 また、実際に当時の麻原にインタビューしたことがあるというスポーツ紙の元記者で60代男性は、当時を振り返る。

 「朝、これが家族と今生の別れになるかもしれないという覚悟で、遺書をしたためて家内に手渡しました。風呂に入って身を清めて、真っ白い下着に真っ白いワイシャツを着て、帰って来れないかもしれない、という不安を抱えながら先輩記者と一緒に指定された場所まで行ったんですよ。ところが拍子抜けするぐらい麻原は愛想も良くて、無事に帰ってこれました。そのかわり、核心めいたものは聞けずじまいでしたけど。90年の衆議院議員選挙に真理党として出馬して惨敗しましたが、そのときにメディア露出の重要性に気づいたのではと思います」

 メディアに露出し、メディアを利用し、有名人と絡むことで自らのステータスを上げていこうとした教祖。都市において無差別に化学兵器が使用されるという、世界の犯罪史上に類例のなかった事件を首謀した。ついに教祖自身の口から全容が語られることはなく、大きな区切りを迎えた。

(取材・文:志和浩司)