マリナーズ戦で打者限定で復帰した大谷は2試合目にしてマルチ安打(写真・アフロ)

 5日(日本時間6日)の試合前ーー
打撃練習の順番を待っていたイチローのところへ、大谷翔平が駆け寄る。5月の再会では、近寄ってきた大谷を振り切るようにして駆け出したイチローだったが、この日は笑顔も限定的。大丈夫かと、イチローが気遣っているようにも映った。

 6月6日(同7日)の登板後に右ひじに張りを感じた大谷は、翌7日(同8日)にMRI(磁気共鳴画像)検査を受けると、右ひじ側副靭帯の損傷が判明。以来、投げることだけでなく、打つことさえストップがかかった。 大谷によれば、「最初の1週間はハードに動くこともできなかった」そう。しかし、28日(同29日)の再検査後に、打撃練習が解禁になると、5日後の7月3日(同4日)にはメジャー復帰。大谷が、「もどかしい」と形容したスローモーションのような3週間に比べれば、あっという間だった。

 もちろん、現時点ではまだキャッチボールもできないが、打撃に関しては、「しっかり(復帰に必要な)プロセスを踏んだ」と大谷は話す。

「実戦でも行けるんじゃないかなという感覚は練習の時からあった」
 実際、復帰初戦こそ、3三振を喫するなどブランクを感じさせたが、復帰2戦目には今季9度目のマルチ安打を記録するなど、適応力の高さを示している。その手応えを大谷はこう表現した。

「ボールに対して入り方はすごい進歩している」

 すごい、という言葉に力がこもっていたが、さらに続けて言う。

「きっちり見えるところは見えてますし、昨日よりボールに対してしっかり入ることができた」

 偶然ではない。必然。ヒットは生まれるべくして生まれた。それは、制限がかかった3週間をどう過ごしたのかということも同時に示しているが、もどかしさを経験し、大谷は怪我についてこう言い切った。

「すごく無駄な時間」

 5日に誕生日を迎えた24歳の覚悟だった。

 

 その時ふと、イチローの言葉を思い出した。 

 2004年のシーズン最終日。デビュー以来ずっと、大きな怪我をすることなく試合に出続けている評価をイチローに問うと、こんな答えが返ってきた。

「僕、いくらもらってると思います?」

 あの年の年俸は650万ドル(約7億1500万円)。2003年のオフに4年総額4400万ドル(約48億4000万円)の契約を結んで1年目のことだった。

 言葉に滲むのは責任感であり、プロ意識。その後、イチローは2009年のWBC(ワールドベースボールクラシック)で患った胃潰瘍の影響でその年の開幕に間に合わなかったが、故障者リストに入ったのは、後にも先にも、あの時だけである。2001年以降、イチローよりも多くの試合に出場しているのはアルバート・プホルス(エンゼルス)ただ一人。それもつい先日、停滞している間に抜かれたに過ぎない。

 あのときの覚悟をイチローはずっと貫いてきた。
 ただ、二刀流を続ける限り、やはり怪我を避けることは容易ではない面もあるかもしれない。

 2014年2月、ダルビッシュに怪我は避けなければいけないのか、そもそも避けられるのか、それともある程度は付き合う覚悟が必要なのかと聞くと、「怪我は起こりうること」と断った上で、続けた。

「どれだけ注意をしていても、筋肉の状態とか、靭帯とか腱とかっていうのは、コントロール出来ない。自分のメカニックのちょっとしたズレも、瞬時に判断出来ることではないですし、それは仕方がない。起きた後に、どう対処するかということになると思う」

 ダルビッシュはその1年後、トミー・ジョン手術に踏み切ることになる。そして今は、右ひじの炎症で、故障者リストに入っている。

 野手と投手では、別々に考えなければならないということか。