本田の遺伝子を継ぐ鹿島の安部裕葵は19歳のホープだ(写真・アフロ)

 ワールドカップ・ロシア大会を戦った西野ジャパンに同行し、ベースキャンプ地のカザンで練習パートナーを務めたU-19日本代表に名前を連ねた23人のなかに、ユニークな経歴をもつホープがいる。

 今回のロシア遠征で「10番」を背負った攻撃的MFの安部裕葵(19、鹿島アントラーズ)は、ロシア大会を含めて3度のワールドカップに出場した本田圭佑(32)が経営に関わる、S.T. FOOTBALL CLUBが初めて輩出したプロサッカー選手となる。

 本田との接点は運命的だ。東京都出身の安部は、中学校へ進学した2011年春に帝京FCジュニアユース(東京都清瀬市)へ加入。3年生へ進級する直前にチームは本田のマネジメント事務所HONDA ESTILOの傘下となり、名称もS.T. FOOTBALL CLUBへ変わったのである

 もっとも、帝京FCジュニアユースの指導者が本田と懇意にしていたこともあり、間接的ながらも本田の生き様や人生哲学を何度も聞かされてきた。そのなかで最も印象に残っているフレーズを、安部は笑顔で明かしてくれた。
「とにかく夢をもって、それを人に言って、逃げ道をなくす。素晴らしいことだと思いましたし、同時に強い人間じゃなければできないことだと思いました」

 本田自身が練習場に足を運び、「夢をもて」と檄を飛ばしたこともあった。迎えた2014年春。卒団を控えた安部は、全国的にはほぼ無名の広島県瀬戸内高校に越境入学する。

 チームを強くすれば自分への評価も上がる。なおかつ、3年生になる2016年には広島県でインターハイが開催される。未来を見越して描いた青写真を、実際にチームを地元開催のインターハイ代表に導き、3ゴールをあげてベスト8へ進出させた軌跡で具現化させた。

 大会優秀選手の一人にも選出された安部のもとには、アントラーズから真っ先にオファーが届いた。ただ、他にどのクラブから声をかけられたかはわからないと、屈託なく笑ったことがある。
「アントラーズさんから声をかけられた時点で、もう即決だったので」
 Jリーグ屈指の常勝軍団ならば、自身の体に宿る可能性をさらに大きく花開かせることができる。こう信じて入団を決めた後もJ1と天皇杯を制し、FIFAクラブワールドカップでは準優勝したアントラーズの日々は、想像以上に刺激と興奮に満ちていた。

「毎日が本当に充実しています。一日一日の練習が新鮮で、自分の立場的には目立たないとメンバー入りができないので、毎日がセレクションのような気持ちで練習しています。正直、練習のほうが試合よりも難しいんじゃないかと思っているくらいなので」

 こんな言葉とともに瞳を輝かせたルーキーイヤーの紅白戦では、リザーブ組のFWとして得意のドリブルをこれでもかと披露。ロシア大会で西野ジャパンの最終ラインを支えた昌子源をして、「他の選手とはちょっと違うドリブルをしてくる」と言わしめたこともあった。