ハインリヒ・シュリーマン(ルートヴィヒ著、秋山英夫訳『シュリーマン伝』より)

 「古代考古学の父」、「語学の天才」とも呼ばれたハインリヒ・シュリーマンは、誰もが夢物語だと考えていたホメロスの詩を現実のものだと信じ、ついに「トロイヤ遺跡」を発見しました。また、夢の実現のためにはお金が必要と、若い頃から商人となり、30代にして富を築きあげました。シュリーマンを突き動かしたのは、まずは遺跡発見の夢ありきだったという説があります。また、近年では夢は後付けでお金が貯まったから、遺跡を発掘してみたくなったという説もあるそうです。いずれにせよ、巨富は夢への近道のひとつであることは代わりません。オランダ・アムステルダムの豪商には一瞬にしてその商才を認められたシュリーマンの若き日々を市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。

【連載】投資家の美学

「夢の実現には金が必要」 相場師で商人だったシュリーマン

 大商人にしてトロイヤ遺跡の発見者シュリーマンについてドイツ文学者の池内紀(おさむ)氏はこう語っている。

 「当時のロシアはトルコとクリミア戦争をしており、アメリカでは南北戦争があったりと、いろいろ事件がありました。そのたびに相場が変動するのですが、シュリーマンは世の中の動きを正確に把握し、先を見て投資したり、相場を張ったりして富を蓄積します。そして運も働いたのでしょうが、30代で豊かな財産を手にするのです」

 1844年3月1日、22歳の誕生日のこと、アムステルダム最大の貿易商シュレーダー商会の門をたたく。豪商シュレーダーは一目でこの若者の才能を見抜いていた。破格の給料で通信係兼書記として即決採用となる。シュリーマンはシュレーダー商会に勤める一方で、ジバゴという名のロシア商人と組んで、「ジバゴ・シュリーマン商会」を立ち上げ、利益は折半とした。商いの対象はインディゴ(インド藍)と呼ばれる染料で、相場変動の激しい取り扱いにやっかいな商品だが、このインディゴの取引でシュリーマンは富豪への道を歩むことになる。アムステルダムはインディゴの世界最大の集散地で、セリ市が定期的に立つほど賑わっていた。入社して2年後、シュリーマンはロシアの首都ペテルブルクの支店長に抜てきされる。

 「ペテルブルクに到着して以来、彼は国際的な商人の役割を果たして成功し、それのみならず、6つか7つの他の会社の代理人を兼ねたので、0.5%のコミッションでも、最初の1年の利益は7500グルデンにのぼった」(ロバート・ペイン著、高津久美子訳『トロイアの黄金』)

 シュリーマンは朝早くから夜遅くまで貪欲に仕事に取り組んだ。やることはやるが、主人に対して言うことも言った。

 「今ではシュリーマンの名はあまねく知れ渡り、世界中の商売を発展させ、素晴らしい成功を収めている」

 ――そう確信した彼は、手数料を0.5%から1%に引き上げるよう申し出る。主人はこの申し出を全面的に受け容れ、シュリーマンの富の増殖は加速する。