W杯ロシア大会では西野監督(左)をサポートした森保氏(右)が次期監督最有力候補。五輪監督との兼任は可能なのか?(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

日本サッカー協会(JFA)との契約満了に伴い、今月末で退任する日本代表の西野朗監督(63)の後任監督について協議するJFAの技術委員会(関塚隆委員長)が今日20日、都内で開催される。

次期監督の最有力候補として、複数のメディアが報じているのが、現在、東京五輪に臨む世代の代表監督を務め、4月に発足した西野ジャパンでもコーチとして急きょ入閣、ワールドカップロシア大会をともに戦った森保一氏(49)だ。つまりA代表と五輪代表監督の兼任プランである。

 果たして兼任は可能なのだろうか。

 かつてはフィリップ・トルシエ氏(63)がA代表と五輪代表監督を兼任し、前者を2002年のワールドカップ日韓共催大会でベスト16へ、後者を2000年のシドニー五輪でベスト8へ導いた。こうした前例から、森保氏が両カテゴリーの代表監督を兼任することも可能との認識を田嶋会長は示している。

 しかし、トルシエ氏と森保氏が置かれた状況は根本的な部分で異なっている。

ワールドカップ開催国としてアジア予選を免除されていたトルシエ氏は、1999年と2000年前半におけるA代表の強化を、いい意味で捨て去ることが可能だった。

 日本が悲願のワールドカップ初出場を果たした、1998年のフランス大会後に日本代表監督に就任したトルシエ氏は、初陣だった1998年10月のエジプト代表との国際親善試合こそ勝利を収めたが、一転して1999年は4分け3敗と、日本がプロ時代に入った1993年以降では唯一の未勝利に終わっている。

 続く2000年前半で勝利を収めたのも、格下のシンガポール、ブルネイ、マカオ各代表戦だけ。低空飛行を続けるA代表の成績と、エキセントリックな性格がJFAの2002年強化推進本部内で疎んじられ、2000年4月から6月にかけては解任論が飛び交う事態を招いた。
 この間にトルシエ氏が進めたのはアンダーカテゴリーを強化し、世代交代を加速させる作業だった。まずは契約条項に含まれていなかったU-20代表監督を無報酬で引き受け、1999年4月にナイジェリアで開催されたワールドユース選手権(現FIFA・U-20ワールドカップ)で準優勝に導いた。

 日本サッカー界初の快挙を達成したホープたちのなかから、MF小野伸二らを中心とする主力選手を五輪代表へ飛び級で招集。MF中村俊輔らひとつ上の世代と融合させ、1999年6月からスタートしたシドニー五輪アジア予選をまさに無双状態で勝ち抜いた。

 そして、2000年に入ると満を持して、五輪代表世代をA代表に昇格させた。2002年強化推進本部内で極秘裏に採られた多数決では解任賛成が上回ったが、JFAの岡野俊一郎会長(故人)が一連の強化の流れを高く評価したことで、一転して2002年日韓共催大会までの契約延長が決まった。

 実際、2002年大会に招集された選手のうち、小野の他にDF中田浩二、MF稲本潤一、MF小笠原満男がU-20代表としてプレー。五輪代表からもMF中田英寿に加えてDF宮本恒靖、DF松田直樹(故人)、MF明神智和、FW柳沢敦が自国開催のワールドカップの舞台に立った。

 A代表の強化をシドニー五輪以降の約2年間に集中させたからこそ、トルシエ氏は理想的な強化プランを具現化させることができた。

しかし今回はトルシエ氏と同じ流れをトレースすることは物理的にほぼ不可能と言っていい。